大嶺駅10年ぶりの再訪(大嶺支線跡)

今年が2007年だから、大嶺駅にはちょうど10年前に来たことがある。 大嶺〜南大嶺間の1駅だけの支線が廃止になるというので、乗りにきたのだ。
JR美祢線は大嶺炭田の開発にあわせて建設された路線で、本来は厚狭から大嶺までを結んでいた。やがて 陰陽連絡路線として長門市までつながり、本来の終点・大嶺は南大嶺から分かれた支線という形に格下げされた。 そしてJR発足から10年たった時点で、盲腸を切り取るように、支線の大嶺〜南大嶺間が廃止になった。
何もないうら寂びた駅だったが、どこか趣はあった。建設当時まだマイル制だった証の「12M15CH」 (12マイルと15チェーン(※))という数字がホーム下の礎石に刻まれているのを、のぞき込んだりしていた。 駅前の、鍵の閉まった事務所のガラス窓に「練炭あります」の文字が見えた。 無煙炭で知られた大嶺炭鉱のかすかな名残のように思えた。
それだけすると、ディーゼルカーが南大嶺に折り返していく時間になった。廃止前に来たというアリバイだけを 作って、大嶺を去った。

※1マイルを計測するのに一定の長さのチェーンで長さを測って行った。1マイル=80チェーン



それから10年。大嶺駅の跡はすっかり整地されてしまっていた。郵便局と交番があって、集落のコミュニティセンターという 位置づけのようだ。

大嶺駅の名残のものといえば標識があるだけになっていた。

せっかくなので郵便局で風景印を頼んでみると、昔の駅舎と、蒸気機関車、大嶺炭鉱の坑口の図柄のものだった。 炭鉱があり鉄道が通じたという歴史が、ここにだけ残されているような気がした。


[目次に戻る]

(C) TTS 2007, All rights reserved