東北自動車道建設予定路線計画図

1枚の地図から

2006年の1月ごろ、インターネットのオークションで1枚の地図を買った。
しばらく出品されていたのだが、3,000円という値段のためか買い手がつかなかった。筆者も買うのを躊躇していた。 やがて出品リストから消えた。だれかが落札したのかと思ったら、出品者が出品を取りやめたらしかった。
この時急に欲しくなって、出品者に直接連絡を取って言い値の3,000円で買い取った。

その地図には「東北自動車道建設予定路線計画図」と記されていて、東北自動車道の予定線らしき緑色の太い ラインが、現在のルートよりもかなり西側=内陸側に引かれている。これがこの地図の最大の特徴である。

底図は地理調査所昭和22年発行の50万分の一地勢図のようだ。
発行者として、「東北自動車道建設促進委員会」という団体名が記されている。

東北自動車道建設予定路線計画図

「東北自動車道建設建設計画案」が、別の用紙で貼り付けられている

地図の来歴を探るためにさらに詳細に観察してみると、裏面に「宮城県志津川町役場」の受け入れ印が 見つかった。受け入れ日として33.3.13とある。昭和33年3月13日と見当がつく。
つまり志津川町に納められた地図で、その時期もはっきりしている。これは史料的な価値が高くなった。
志津川町は2005年10月1日に歌津町と合併し、現在は南三陸町となっている。ここからは推測だが、昭和33年に 以来忘れられて書庫の片隅にしまわれてきた物が、合併の際の備品整理で不要とされて、古紙の回収か何かに出された のだろう。ちょうどオークションで入手した時期とも符合する。画鋲で留められた跡があるから、受け入れ後しばらくは 掲出されていたのかもしれない。

東北自動車道建設促進委員会

「東北自動車道建設予定路線計画図」と題して線が引かれているので、その線の引き方が現在のルートと どう違っているのかが興味の対象だが、その前に地図の来歴についてもう少し調べてみる必要がありそうだ。 手がかりは、発行者の「東北自動車道建設促進委員会」である。
いろいろ調べていくうちに、委員会の報告書が残されていることを知り、 『建設促進10年の歩み 東北自動車道建設促進委員会事業報告書』というその報告書を手に入れた。
昭和32年の委員会結成から、41年に解散するまで、毎年の事業報告が、会合や視察も含めて、事細かに記されている。

件の地図についても、昭和32年度の「啓蒙宣伝の事業」として「『東北自動車道建設予定路線図の配布』=1,000部」として 記されている。この1,000部のうちの1部が志津川町役場に配られ、昭和33年3月13日の受け入れ印が押され、それが、いま手許にある。 地図の作成者、作成意図、来歴までがはっきりした。

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