茨城県新治郡の道路元標

土浦町道路元標

市町村名土浦町
明治22年4月1日単独町制施行、昭和15年11月3日真鍋町と合併し市制施行(土浦町消滅)。
告示位置土浦町仲城町908ノ1
樓橋側(櫻橋と間違い)
現所在地土浦市
状況良好。
刻印(正面)土浦町道路元標
取材日2003年5月
設置場所周辺

土浦町道路元標は仲城通りと亀城通りとの交差点にあり、桜橋の親柱が隣に残されている。仲城通りはかつての水戸街道で、亀城通りは昭和9年に桜川を暗渠にしてその上に作られた大通りであり、つまり水戸街道が桜川を越える位置に架けられた橋のたもとに道路元標が建てられたのである。

【地図】土浦城の江戸時代復元図(土浦城現地に掲示)を加工

土浦は、土浦城の城下町として栄えると同時に、霞ヶ浦湖畔の水郷の町であった。土浦城は別名亀城とも呼ばれたが、それは涸沼や水郷を濠として幾重にもめぐらしてた様がまるで水面に亀が浮かんでいるように見えたためだという。
水戸街道の橋として、桜橋は水郷城下町の中心地にあったことが地図から読みとれる。東京の日本橋や大阪の高麗橋と同じように、町の中の主要な橋が街道の基点となっていた例である。

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