旧道路法施行令が市町村の道路元標は府県知事が位置を定めるとしていた中で、唯一例外として同施行令によって位置が予め決められていたのが東京市道路元標である。その位置は江戸時代の街道制度、明治時代の里程元標を引き継ぎ、「日本橋ノ中央トス」とある。
東京市道路元標がこのように特別な扱いだったのは、ここがまさに日本の道路網の中心とされたからである。大正9年4月1日に旧道路法にもとづいて認定された国道の一覧(大正9年内務省告示第二十八号)には38本の国道が記載されているが、どの国道も皆、起点は「東京市」になっている。すなわち「すべての道は東京市道路元標に通じていた」のである。
形も、他の道路元標が石柱なのに対して、当時日本橋を走っていた市電の電柱や電灯も兼ねた独特のものになっている。
【写真】付近はビジネスマンが忙しく行き交うが、時折足を止めて観察していく人もいる。ついつられて何があるのか見てしまう。
昭和42年(1967年)に市電が廃止されて電柱が不要になり、昭和47年に日本橋の道路改修が行なわれるにおよんで、東京市道路元標は撤去され、現在は北詰めの「道路元標の広場」に移設・保存されている。
今日では、かわりに日本国道路元標のプレートが日本橋の中央に埋められている。現行の道路法令には道路元標に関する明確な法令はないが、国道1号や4号などの日本の国土を貫く主要国道の起点となっていたり、道路上の案内で「東京」を指すときは日本橋中央の日本国道路元標までの距離を計測するなど、事実上東京の道路の基点となっている。
[日本国道路元標]について
日本橋の上には首都高速の高架橋が覆い被さっているが、実はここにも東京市道路元標と似たモニュメントを見ることができる。これは首都高速を通る車向けに日本橋と日本国道路元標の位置を知らすもので、「道路元標地点」碑である(「道路元標地点」と鋳印されている)。
日本橋通郵便局の風景印には東京市道路元標が描かれている。判別はできないが、柱に鋳印されている「東京市道路元標」の文字も再現されている。その他には日本橋の親柱や、首都高速道路の高架橋が覆い被さっている日本橋界隈の風景が描かれている。
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