静岡県内の道路元標

府県庁所在地の道路元標:静岡市(里程元標跡碑)

静岡市については道路元標についての情報が得られていないため、道路元標に替えて、里程元標についての情報を載せている。

市町村名静岡市
告示位置---
現所在地---
状況里程元標跡碑
刻印[表面]里程元標跡[裏面]
取材日2002年12月
設置場所周辺

静岡市の道路元標の位置は札の辻(呉服町)となっているが、現在、当該の場所には里程元標跡」碑が建てられている。形といい、大きさといい、復元した道路元標と間違えそうであるが、あくまでも里程元標の跡を記す石碑なのでこのサイトでは番外編として扱っている。

札の辻

言うまでもないことだが、静岡、かつての駿府は、徳川家康が将軍職を息子秀忠に譲った後も大御所として権勢を誇った場所である。彼はただ単に少年時代を人質として過ごした思い出の地に隠居したのではなく、ここ駿府を、西から反幕府の軍勢が江戸に攻め上ってきたときに備えた東海道の軍事拠点としようとした。そのため、駿府城は西に門を持ち、西から来た東海道の正面を遮っている。駿府の城下では東海道は一旦南に曲がり(呉服町)、そして再度曲がって東に向かわなければならなかった。
その東海道がお城の御門の前で曲がる場所に、御上の命令を伝える高札場が設けられた。これが札の辻の由来である。
折れ曲がった東海道の方は、呉服町と呼ばれ静岡一の商店街になっている。

明治以降は、城は取り壊されて、跡地に県庁が設置された。今も札の辻の交差点から東をみると通りの正面に県庁がどっしりと構えている。政権が移っても政治を演出する景観は引き継がれているのである。

札の辻に掲げられていた案内板(元図:東京国立博物館所蔵「東海道分間延繪図(とうかいどうぶんけんのべえず)」)を加工。
東海道が駿府城の西側で折り曲げられ、東海道からお城を望む正面に高札場が設けられていた。白を囲むように大きな構えの屋敷が描かれていて、高札場から向こうは庶民が立ち寄りがたい場所になっていたことが伺える。
他に気が付いた点としては、駿府城の大手門も、東海道から直接乗り入れるのではなく、鍵型になっている。通りを遮るように線が描かれているが、これは木戸を示している。東海道はもとより城下の細い路地にも頻繁に木戸が設けられていた様子がわかる。

教導石(里程器表)

明治時代の静岡市には、教導石という独特の制度があった。これは一種の情報交換板で、石碑の右側に「尋ね方」とありここに知りたいことや相談事、苦情を紙に書いて貼り付けておくと、左側には「教え方」とあって情報を持っている人が返事をしてくれるというものだった。
この碑は、情報交換板だけでなく、正面上部に「里程器表」と刻んであるように静岡県里程元標(呉服町札の辻)から各地までの距離を記した里程表の役割も果たしていた。石碑の上半分にはぎっしりと、東京日本橋、京都三条大橋をはじめ静岡県内各地への里程が刻まれている。
里程にかかわる史跡として、里程元標といっしょに紹介しておく。



その他府内市町村の道路元標

資料


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