国道にも路線があり、それぞれにもちろん起点と終点がある。
国道の路線にも、鉄道と同じように、幹線とその支線というような区別があり、番号の小さい1桁や2桁の国道で全国の主要都市を結び、3桁台の国道は都市間交通を補完したり地方の町や村をつないでいるという趣がある。昭和○年までは「1級国道」「2級国道」として厳しくランク付けされていたくらいである。2桁台の国道が58号までしかなく59号から100号までは欠番になっているのも、「1級」と「2級」の等級の差を残している。
国道の起終点を論じようと言うとき、この国道の等級を覚えておくと話が格段におもしろくなる。鉄道の路線が本線から支線が枝分かれしていくように、国道も等級の高い路線から低い路線が枝分かれしていく。1桁や2桁の番号の国道の交差点を曲がると、田舎道のような3桁の国道が山の方に続いて行っているという風景を想像してもらうとわかりやすい。どの町にも、こうした枝分かれしていく交差点があるはずである。当然その交差点が3桁のほそぼそ国道の起点になる。実は1桁2桁の国道と路線が重複していて、しばらく行った起点でもない小さな交差点からようやく自分の「所帯」を持てたというワビシイ3桁の国道も多い。そうした国道は、往々にして、山を2つ3つ越えたところで再び別の1、2桁国道に吸収されて、重複していて実感のないままに終点を迎えていたということになる。肋骨路線の宿命である。
ところで国道にも、鉄道のターミナル駅のように、多くの路線が集まり多くの起点や終点を抱える場所がある。東京都の日本橋(中央区)や大阪市の梅田、新潟市などがそれに該当する。いずれも1桁2桁国道の起終点を持つ日本道路網上の要衝である。こうなると、田舎町の分岐路とは格が違ってくる。道路元標などもあり晴れがましい場所になる。
ましてや起点がより揃うところと言えば、五街道の起点・お江戸日本橋の伝統を残している東京都の日本橋など、さらに数少なくなる。起点が揃うというのは、言うならば、東京都の日本橋から出る道はすべて「下り」方向ということであって、東京駅から出る列車はすべて「下り」というのと同じくらい驚くべきことなのである。
羽根尾国道三起点は、起点ばかりが頭を揃えて集まっているという意味で、東京都の日本橋にも東京駅にも匹敵する場所である。羽根尾の特異な点は、それが主要都市にあるわけでもなく、よくよく考えると路線をわざわざ分割して起点を揃えることもないように思えることにある。
不可思議であり、それ故、こうして趣味の対象にもなる。
羽根尾のある長野原町は、渋川市から吾妻側の河谷を30キロメートルほど遡った場所にある。谷筋をさらに遡り、鳥居峠で群馬・長野県境を越えると上田市に至る。都市と都市とを結ぶ「街道」という観点で言えば、渋川市と上田市とを結ぶ街道筋の途中に位置する。名高い草津温泉や、万座・白根の観光地への玄関口としても機能している。とはいえ、長野原町自体は人口7000人ほどの小さな町で、それ自体に観光の要素だとか、特記できるような産業は見あたらない。谷筋の街道を走っていて時々あらわれる「町」のひとつ、といった趣以上のものは感じられない。
羽根尾の起点としている三つの国道とは国道144号、145号、146号で、連番になっている。つまり制定者は、羽根尾という場所にまず筆を止め、そこから3条の線を立て続けに引っ張ったことになる。その筆の先は
・国道144号:長野原町羽根尾−長野県上田市、国道18号接続(延長44キロメートル)
・国道145号:長野原町羽根尾−沼田市、国道17号接続(延長43キロメートル)
・国道146号:長野原町羽根尾−長野県軽井沢町、国道18号接続(延長30キロメートル)
である。
ここでまず気付くのは、それぞれの路線延長の短さである。45キロ弱が2本と、30キロが1本というのは、国道の延長としては短い方である。都市間の連絡を考えるならば、沼田から長野県上田市までを1本の国道にしてしまっても90キロメートルほどにすぎず、むしろ街道として「まとまり」があるように思える。国道145号がなぜ渋川ではなく沼田に通じているのかは置いておく(中之条−渋川は国道353号。JR吾妻線は吾妻川に沿って渋川と通じている)が、国道17号沿線の沼田市と国道18号沿線の長野県上田市との間の連絡を、3桁の国道で補完するという、わかりやすい名目が出来る。国道146号が浅間山麓を結ぶように枝分かれするのはまだ理由がはっきりしているが、国道144号と国道145号が羽根尾で分割されているのは謎である。
そして、長野原町羽根尾の最大の謎はなぜここが国道三起点なのかということである。国道の等級の話を思い出して欲しい。国道145号が終点としている沼田市は、国道17号沿いの街である。国道17号は東京都の日本橋を起点にして新潟まで結ぶ幹線に位置づけられている。国道144号と146号が終点にしている国道18号は、高崎で国道17号から分岐して鉄道の信越本線に沿って新潟県上越市に至っている、これまた「等級の高い」国道である。つまり、国道17号や18号から枝分かれして、終点がたまたま長野原町に集まるということはあり得るとしても、その逆は考えにくい。
戦前の旧国道法の下では、中央集権的な考え方からすべての国道は東京を起点として、東京を中心として放射状の国道体系が組み立てあげられていた。戦後の民主化、地方分権化が押し進められると、旧来の国道網を踏襲した路線をのぞいて、新設の国道は北にある都市(北側の基点)を起点、南側を終点とするようになった。国道357号のように、東京を素通りし、千葉から東京へ向かう方が「下り」という路線もある。さて、羽根尾三起点にこの「北=起点」の原則を当てはめようと試みるが、国道145号の終点・沼田市の方がわずかに北に位置していて、これまた説明がつかない。
結局、羽根尾三起点の謎(1)国道144号と国道145号分割の謎(2)なぜ三起点なのかの謎、ともに解決できないままでいる。
国道三起点の碑を整備している長野原町の解説を紹介しておく。
「全国町村の中では珍しい国道三起点である」とその意義を認めた(これは国道ファンとしては嬉しいことである)上で
「古くは戦国の世、信州源氏の流れを汲む海野氏の羽毛城の城下町として、真田藩の要地であり、更に江戸時代から明治大正にかけては沓掛草津街道の宿場町として栄えた」
と、交通の要地であることを説明しようとしているが、結局のところ、なぜ国道三起点なのかという問題の核心には踏み込めていない。
長野原町の説明を待つまでもなく、長野原町は交通の要衝であり、国道が集散している。羽根尾を起点とする3国道以外にも、国道292号が町内を起点としている(国道292号は草津、渋峠を越えて新潟県の新井まで至る)。また、長野県の大町市と群馬県の高崎市とを結ぶ国道406号は、しばらく国道144号、145号と重複しながら、同町内から独自の区間を持って高崎まで通じている。そういう場所柄については理解できるのであるが、起点が3つ集まっていることはやはり不可思議である。
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