善知鳥峠を辰野町に抜け、逆に戻るように山に登ると「日本中心の碑」がある。石碑には東経137°59′36″北緯36°00′47″標高1277mと刻まれているが、何をもってしてここを「日本中心」と名乗るのか、その説明はない。
この石碑の由来は、この手のモニュメントに興味を持つ地理マニアの間でもわかっていない。ここはひとつ大胆に推測してみると、おそらく次の考えが当たっているのではないかと思える。
- 長野県は昔から日本の中心と見なされていて、例えば上田市には日本中央・生島足島神社がある。科学的な根拠はなくても、長野県が日本の中心にある県という言い方にはそれなりに肯けるものがある(群馬県渋川市なんかは反対しそうだが)。
- その日本の中心にある長野県を貫いている切りの良い経緯度線は、東経138°北緯37°であり、それとなく長野県の中心地らしい(実際の長野県の中心にあたる県の重心は、国土地理院が東経138°02′38″北緯36°07′48″と計算していて、日本中心の碑からは約13キロメートル北東方向に位置する。13キロメートル離れていては近似値とは言えないだろう)。
- そこで、日本の中心にある県である長野県の中心軸とも言える東経138°北緯37°の地点を顕彰しようとした。
- ところが用地やアクセスの関係からやむを得ず近似の東経137°59′36″北緯36°00′47″に石碑を建てたのではないだろうか。ちなみに、東経138°北緯37°の地点を基準にしても1500メートルずれている。
根拠が回りくどくあいまいで、しかもずれているという、なんともしようのない推論だが、そうとでもこじつけないとこの日本中心の碑の位置を説明できないのである。
ちなみに日本中心地を名乗る群馬県渋川市が[全国へそのまち協議会]という団体を主宰しているが、これに日本中心の碑がある辰野町は参加していない。やる気のない辰野町である。
代わりに長野県からは松本市が「本州の中心にある長野県。その真ん中に位置するまち松本市」という名目で参加している。それも「本州の中心にある長野県。その真ん中に位置するまち松本市」という理論(あえてこのフレーズを繰り返すが)で同市の浅間温泉には「本州中央の地」という標柱がある。
日本中心の碑もおそらく似たような、長野県内でこじつけて定義した中心地を日本の中心とうそぶいているだけなのだろう。
誰が言い出したのかは知らないが、こうして訪れて真面目に(?)論じている人間も、どっちもどっちだなぁ。 |