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バス専用道路・JRバス関東白棚線

白河の関の旧蹟から国道289号に出ようと走っていたら、交差点で一旦停止の標識に出くわした。これだけだと普通の田舎道の交差点だが、ここには○に↑の直進可の標識も付いている。これはあやしい。この青円に矢印の標識は青色だからつい安心してしまうのだが、単に直進可ではなくて、より正確には直進のみ可能すなわち右左折禁止という積極的な規制を示している。一方通行とも違う。そもそもこんなのどかなところで一方通行というのもおかしい。
それに見通しの良い田んぼの中の交差点なのにミラーが付いているのも仰々しい。
交差している道には何かありそうだ。



JRバス関東発行のメールマガジンでは、バス専用道路のことも「白棚線」として紹介している。
○参考:バス専用道路「白棚(はくほう)線」
路線バス「白河駅〜棚倉駅」の経路が、12月2日から一部変更。「金沢内 〜浅川口」(棚倉町)区間のバス専用道路を廃止、併行している国道を利用。  廃止区間は、全国でも珍しいバス専用道路(当社所有)の一部。白河・棚 倉間の路線なので「白棚線」と呼ばれる。今回の変更により、白棚線のうち 「棚」の部分は消滅。
2000年12月6日元記事はここ

そこで車を停めて観察してみると、「JRバス関東専用道」につき「一般の人車通行禁止」という看板が立ててあった。
これで思い出した。国道289号に並行してJRバスの専用道が走っているのだ。このバス路線は東北本線の走っている白河と水郡線の走っている棚倉(磐城棚倉)とを結ぶ白棚線である(「はくほう」線と読む)。東北本線と水郡線との間を短絡する格好になる。
現在はバス路線だが、ここにはもともと鉄道が走っていた。白棚鉄道といって1916年(大正5年)に開通している。これで棚倉は東北本線(黒磯−郡山1887年(明治20年)開通)沿いの町・白河と結ばれることになった。ところが1932年(昭和7年)に水郡線が水戸から磐城棚倉まで開通したことによって、人や貨物の移動は、白河と棚倉を結ぶよりも、水郡線へと移ってしまった。戦時中の1944年(昭和19年)には資材の有効利用を理由にレールが撤去されバス路線に転換されてしまった。
戦後も線路が復活することはなく、1957年(昭和32年)逆に線路跡をバス専用道路として活用して、一般道路経由よりも高速で定時運行できるバス運行を目指した。その当時は国道の改良も遅れていて1級国道でも雨が降るとぬかるみ道になったと言う状況だったから、路盤のしっかりとした鉄道線路跡を専用道路にするというのは理にかなったことだったのだろう。鉄道の線路跡を使って目に見える形で鉄道の代替をするというのは、国策によって無理矢理鉄道を廃止させられた地元に対しても説明しやすかったという事情もあるのかもしれない。

鉄道からの転換という歴史を持つので、踏切と同じで、一般道路と交差するところではバス専用道路が優先(鉄道線路待遇)で、一般道路の方が一旦停止するようになっているのだ。専用道路側には間違って侵入しないように×印が路面に描かれている。

一般道路との交差地点にある立入禁止を示す看板。
会社名のところの地が塗りつぶされているが、最初は「JR東日本バス」になっていたと想像が付く。これは、1987年の国鉄民営化と同時に当時の国鉄バスは地域ごとにJR旅客各社に移管され、JR東日本の地域に含まれる白棚線はJR東日本バスとして運行されることになった時のものだ。ところが、翌1988年に本州3社の持つバス路線は分社化され、関東甲信越地域のバス路線を運行するJRバス関東が誕生した(JR東日本のバス路線はJRバス関東とJRバス東北に分割して分社化された)。それで一部を塗りつぶして、「JR[バス関東]」に書き換えたのであろう。
それ以前の白く塗りつぶしてあるところにもともと何と書いてあったかはわからない。会社の沿革を調べるとJR東日本バスの以前は国鉄バスに行き着く。「国鉄バス」だけだと短すぎるので、路線名なども書いてあったのかもしれない。

道幅を示す反射灯(デリニエーター)には「国鉄バス」の名称がかすれながらも残っている。

一般道との交差点から北側(白河側)を覗いてみる。まっすぐ続いているバス専用道路の先方に、切り通しが見える。
道路の切り通しはドライバーに圧迫感を与えないように上に開いている \_/ ことが多いのに対して、この切り通しは車両が通れるだけの空間をぎりぎり確保しているような感じである。木々が茂ってまるでトンネルのようだ。レール上を固定されて走る(ハンドルがなくてもレールがカーブを描いていればひとりでに曲がることが出来るくらいであるから)ので車両限界さえ確保してあれば大丈夫という鉄道独特の雰囲気がする。

「単線」分しか幅がないので、バスどおしのすれ違い用に所々に待避帯が設けられている。

いろいろ観察しているうちに、ちょうとタイミング良くバスが通りかかった。
切り通しのところでも感じたが、こうして見るとかなり窮屈そうだ。車両限界はもちろん考えてあるだろうし、専用道路だからバスを邪魔者扱いして無理矢理追い越していくような自家用車もいないだろうけど。

実際のところ、並行して走っている国道289号の整備が進むにつれてバス専用道路の意義は薄れてきているようである。むしろ、増加する一般交通に対応するために国道と併走しているところではバス専用道路の敷地を使って積極的に国道を拡幅している。
JRバス関東のメールマガジンが「白棚線のうち『棚』の部分は消滅」と書いているが、棚倉町側の専用線はすべて廃止され、今では白河市の市街地外れの部分にわずかに残っているだけになってしまった。

取材:2001年7月


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