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未成・中津川線



山へ向かって延びる未成線。実際には中央自動車道と同じように阿智で向きを90度右へ振って昼神で恵那山麓に取り付く計画だったので、写真正面の山をトンネルで貫こうとしたわけではない。

木曽谷には中央本線、伊那谷には飯田線がそれぞれ走っている。この両者を短絡して、飯田と中津川とを結ぶ鉄道の計画があった。ちょうど中央高速が恵那山トンネルで飯田から中津川に抜けているように、恵那山の下に12kmにもなる長大トンネルを通す計画だった(中央自動車道の恵那山トンネルが8.649km(上り線);上越新幹線の新清水トンネルが13.490km)。全長約36kmの予定区間の3分の1はこのトンネルが占めることになる。中津川線は技術的、財政的にこのトンネルが掘れるか掘れないかが全てであったと言っても良い。
1967年(昭和42年)から工事が始められ、まずは建設が比較的簡単な飯田盆地の建設から着手された。今日残っている遺構はほとんどがこの部分のものである。
1973年(昭和48年)には昼神駅予定地でボーリングを行なったところ温泉が湧き出て、これが今では昼神温泉になっている。
中津川線は結局、飯田市内の平野部で一部建設に着手したものの肝心のトンネルは建設のめどが立たないまま、国鉄再建法によって建設が中断し、以後打ち捨てられてしまった。

今回のケースはとくに道路に転用されているということは考えずに、最初はただ未成線の跡として見に行った。
現地で観察してみると、子供たちの通学用の歩道として使われているようである。完全に道路に転用されているというのではなく線路の路床そのままの歩道(それも踏み分け道っぽい感じ)なので、それだけだったらこのサイトの趣旨(道路がメイン)から言うとちょっと反則気味なのだが、飯田市長名で「学童通学歩道」としての使用承認証が掲示してあるのを発見してしまった。こうなると放ってはおけない(笑)。もしかすると飯田市道に指定されているかもしれないし、例えそうでなくても「学童通学歩道」として市長が正式に公共の交通の用に供しているのだから少なくとも道路交通法の適用される「道路」にはなる。これは探検してみよう。

まずはこの貴重な鉄道用地使用承認証を見てみよう。
一番気になるのが期限が切られていることである。承認証の日付を見ると、昭和63年4月1日から昭和64年(平成元年)3月31日までとなっている。それ以降更新されているのかどうかは疑わしい。
勝手に事情を勘ぐってみると、それまで子供たちが小中学校へ通うのに近道として使っていて市(教育委員会)や国鉄側(建設中なので鉄建公団か?)も半ば黙認していたのが、昭和63年4月1日というと国鉄がJRへと民営化された日付なので、未成線の土地などの資産は国鉄精算事業団に移管し管理が急に厳しくなって使用承認申請を出してくれと言う話になったのかもしれない。それにしても、その1年間だけでいいのかという疑問は残る。なんだかんだ言って、結局、黙認の近道とそう変わらない雰囲気ではある(笑)。

学童が通学するだけじゃなく、地元の人が堂々と車で通っているようである。こんなところを走るとは近所のおっちゃんの軽四しかないと思うが、どうだろうか?(笑)

それにしても、雪に残る2条のタイヤ跡がまるで線路のように伸びているのを見るのはわびしいものがある。

私も線路跡に立ってみた。

線路跡は集落の間をまっすぐに貫いている。たしかに家の裏にこんな「道」があれば、小学生でなくても近道してみたくなる。
もっとも、この建設のために土地を手放したり移転したりした人もいるわけで、「工事は中止です。電車は走りません。危ないから立ち入り禁止です」では納得いかないだろう。

市長名で「学童通学歩道」にしている以上、歩道としてそれなりに整備していたようである。突堤に登るための階段が取り付けられている。こうなると、単なる廃線跡ではなくて、立派に道路である。




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