JR只見線・第六只見川橋梁


往時の第六只見川橋梁

2011年7月、福島県の只見川流域を襲った水害により、JR只見線・第六只見川橋梁は流失してしまった。
個人的なことになるが、実は、水害の約2週間前の7月16日に只見川流域を通っていて、偶然にも同橋梁のスナップを 撮っていた。「わかっていれば」列車が通るのを待って写真を撮ったり、もっと近寄って記録に残していたのだろうけれども、 それでも目に留めてシャッターを押していたというのは奇遇に思えてしまう。

JR只見線・第六只見川橋梁(往時)

撮影日=2011.07.16


第六只見川橋梁の現状

取材日=2012.07.14

前回の訪問、そして水害から1年経った、2012年7月、再度第六只見川橋梁を訪れてみた。

被災時からほとんど手付かずの状態のようで、主径間のワーレントラスは崩落して川床に転がったままに なっている。よく見ると、主径間を支えていた左岸側の橋脚も跡形ない。

JR只見線・第六只見川橋梁(現状)

JR只見線・第六只見川橋梁(現状)

左岸から右岸を眺める。

主径間を支えていた右岸側の橋脚は残っているが、ワーレントラスと、それに支えられていた右岸側の プレートガーダーは流失してしまっている。

JR只見線・第六只見川橋梁(現状)

左岸側、河道にかからない部分のプレートガーダーは残っている。

JR只見線・第六只見川橋梁(現状)

残されたプレートガーダーに銘板を見つけたので読んでみると、意外なことが記してあった。 第六只見川橋梁のプレートガーダーも三信鉄道(現JR飯田線)からの転用だったのだ。
只見線では、第八只見川橋梁が三信鉄道からの転用ということが知られているが、 第六橋梁については主径間のワーレントラスに注目してしまうためか、このプレートガーダーにまで 言及している人はほとんどいない。また、『歴史的鋼橋集覧』(土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会)の 「昭和5年」という記述とも整合性が取れない (参考:同集覧第六只見川橋梁の項)。 あまり世に知られていない経歴のようであり、工事誌や台帳との突合せも必要になりそうだ。

いずれにしても、このプレートガーダーは只見線建設史の重要な史料であるわけで、今となっては水害にも負けずに 残ってくれたことに感謝せずにはいられない。

【銘板の記載】
昭和拾壹年五月
三菱重工業株式會社
神戸造船所製作

三信鐵道株式會社


JR只見線・第六只見川橋梁(現状)・プレートガーダー銘板
写真は一部強調

JR只見線・第六只見川橋梁(現状)・プレートガーダー銘板

本名ダムの現状(取材時)
水害で発電設備が破壊されてしまったため、ゲートを全開放している。

本名ダム(現状)

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