日本の積石塚・積石墓

墓を参るという趣味があるらしい。著名人の墓に詣でて人物の生前を偲び、墓石が苔生さないように掃ってくる。 訪問の記録を書き付け、掃苔録としてコレクションしていく。
だが私の趣味はそれとは異なっている。著名人ではなく、名もない普通の人の、石を積み重ねただけの墓を好んで訪れる。 その石も、既に苔生し土に埋もれたような墓に参り、そのかすかな、そこに人が住んでいたというだけの痕跡を感じ取る。
面白みはない。ただなんとも無常な気持ちになる。誰だとか、生前何をしたとか、そういうことは関係なくなり、ただ、後に残された人々が 死者を弔い石を積んだという行為だけが結晶し、非常に尊いものに思えてくる。
そういう記録である。


秋田県北秋田市萱草

積石墓はマタギの墓と言われている。
北東北には縄文時代の配石遺跡(墓とも祭祀場とも言われている)が多く見られ、石を積んで墓とする文化が綿々と 引き継がれてきたように思われる。

2010.07.19取材

秋田県北秋田市萱草

群馬県嬬恋村田代の埋め墓

両墓制の埋め墓に当たる。丸石を積んだ上に、ガンブタ置く。

2010.06.06取材

群馬県嬬恋村田代の埋め墓

滋賀県高島市安曇川武曽横山

2010.03.22取材

滋賀県高島市安曇川武曽横山

滋賀県高島市安曇川武曽横山

お寺の横の唐櫃(カラト)式の墓石が立ち並ぶ墓地をすり抜けて、奥にある積石墓のこの光景を見たとき、体が震えた。 東北で巡り歩いてた古代の配石遺跡と同じ光景が目の前に広がり、しかもそれが遺跡ではなく、現在でも祭祀の対象となっている お墓だったからだ。
日本の墓制の始まりがそのまま残されているような気さえした。

2010.03.22取材

滋賀県高島市安曇川武曽横山

滋賀県高島市安曇川武曽横山

同じ高島市内の墓地だが、積石墓も集落によって微妙に慣わしが異なっているようだ。
ここの墓地は、こぶし大よりも小さな石を積み上げている。

2010.03.22取材

滋賀県高島市安曇川武曽横山

徳島県三好市西祖谷山村の平家の墓

地元で産出する緑色片岩の、薄く平らに剥離した切片を積み重ねて、矩形の平らな墓を築いている。

2008.11.01取材

徳島県三好市西祖谷山村の平家の墓

香川県佐柳島の埋め墓

両墓制の埋め墓に当たる。

2003.10.05取材

香川県佐柳島の埋め墓

香川県高見島の埋め墓

両墓制の埋め墓に当たる。

2011.09.10取材

香川県高見島の埋め墓
香川県高見島の埋め墓

長崎県平戸島根獅子「小麦様の墓」

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の、人さらいの伝承が残る。

2009.07.19取材

長崎県平戸島根獅子「小麦様の墓」

長崎県生月島「ガスパル様」

2009.07.19取材

長崎県生月島「ガスパル様」

長崎県壱岐島

2009.03.02取材

長崎県壱岐島

長崎県頭ヶ島(上五島)

頭ヶ島教会(重要文化財)の前の浜にあるキリシタン墓地。クルス(十字架)が付いた キリスト教独特の墓石の中に混じって、石積の墓がある。キリスト教伝来以前の墓制の名残だと 言われる。
遺骸を砂浜に埋葬し石を積む風習は、離島や海辺の村によく見られる。

2011.10.09取材

長崎県頭ヶ島(上五島)

宮崎県椎葉村

土地のヒロイン、鶴富姫の墓の案内に従って見に行ったので那須家の墓地だと思われる。 板状の石を長方形に並べて敷いて個別の墓域を区切り、中央に墓標となる石を1枚立てるという様式。
NHKBSプレミアム『よみがえりの森 千年の村 クニ子おばばの焼畑物語』によると、 椎葉では木の根元に土葬したという。墓地の中央に残る大きな切り株が、そうした埋葬習慣を伝えている。

2009.10.25取材

宮崎県椎葉村

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