咸臨丸の水夫の墓を訪ねて | 幕末に太平洋を越えた咸臨丸。その乗組員のうち3人の水夫が、航海の疲労から、到着したサンフランシスコの地で亡くなり埋葬された。彼らの墓はその後改葬されて、今日ではサンフランシスコの南にあるコルマという所に安置されているという。 |
墓の町・コルマ | |
タウン・ホールの裏手の駐車場を間借りするよな格好で、歴史協会のトレーら・ハウスが停まっている。 | サンフランシスコの南という情報だけで詳しい行き方はわからなかったが、独立した自治体になっているようだしなんとかたどり着けるだろうと楽観的に考えて、コルマへと向かうことにする。案内看板を気にしながらI-280を走っていると、案の定Colmaの案内が出てきた。 さて、これだけ墓ばかりだと目指す日本人墓地の場所がわからない。どうしようかと思ったところタウン・ホールの裏手に地元の歴史協会の建物(と言っても、トレーラー・ハウス)があるのを発見し、都合のいいことにちょうど開いている時間だったので、そこで尋ねてみることにする。ボランティアのようなお爺さんがひとりで居て、訪問の目的を告げると、日本人墓地の解説書きを取り出してくれた。どうやら、それぞれの墓地についてそこに埋葬されている著名人がリストアップされていて、訪問者の便を図っているらしい。さすが墓の町の歴史協会である。道順も教えてもらう。 |
各地から墓を訪れる人のために、辻には墓の案内看板が立つ。 | |
イタリア人墓地。このセレモニー・ホールの裏手の丘に墓地が広がる。 | セルビア人墓地。東方正教会系特有の十字架(‡)が見える |
日本人共同墓地 | |
日本人共同墓地(現在執筆中です) | |
咸臨丸の水夫の墓 | |
咸臨丸の水夫の墓(現在執筆中です) In Memory of TOME-TZO A Japanese Sailor of the War Steamer Kan-Din-Maru DIED | |
日本○軍咸臨船之水夫 讃岐国塩飽佐柳嶋 冨蔵墓 と刻んである(原文縦書き) なお、裏面には"In Memory of TOME-TZO A Japanese Sailor of the War Steamer Kan-Din-Maru DIED"と英語で刻んであるが、この当時はまだ日本語のローマ字での表記法などは決まっておらず、富蔵が"TOME-TZO"、咸臨丸が"Kan-Din-Maru"になっている。 行ってきました! [塩飽諸島の佐柳島にある冨蔵の墓(拝み墓)] |
カリフォルニア見聞録:[パシフィック・コースト・ハイウェイ CA-1]
[探検!アメリカの道路に戻る]
(C)TTS 2002, All rights reserved