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咸臨丸の水夫の墓を訪ねて

幕末に太平洋を越えた咸臨丸。その乗組員のうち3人の水夫が、航海の疲労から、到着したサンフランシスコの地で亡くなり埋葬された。彼らの墓はその後改葬されて、今日ではサンフランシスコの南にあるコルマという所に安置されているという。


墓の町・コルマ



タウン・ホールの裏手の駐車場を間借りするよな格好で、歴史協会のトレーら・ハウスが停まっている。

サンフランシスコの南という情報だけで詳しい行き方はわからなかったが、独立した自治体になっているようだしなんとかたどり着けるだろうと楽観的に考えて、コルマへと向かうことにする。案内看板を気にしながらI-280を走っていると、案の定Colmaの案内が出てきた。
exitを出てほどなくコルマの市境をまたぎ、町にたどり着いたことがわかった。だが様子がおかしい。今走っているCA-82が町を貫いているメイン・ストリートらしいのだが、両側に芝生のなだらかな丘が広がるだけでダウンタウンに入る気配がない。そのうちタウン・ホールが見えてきて、ダウンタウンであることには確かなのだが、側にモールがひとつあるだけでいわゆる商店街というものがない。
コルマは墓の町なのだ。CA-82の両側に広がるなだらかな丘は、芝生が植えられ手入れの行き届いた霊園なのである。町の人口が1,191人(2000年国勢調査)と言うから、ずらっと並ぶ墓石をざっと見渡しただけで地下に眠っている死人の方が圧倒的に多い。当然、コルマの町に住む住人ための墓がこんなに必要なわけではなく、サンフランシスコ地域の霊園をまとめて引受けているのだ。
道脇には花を売る店が目に付く。どの店も墓参りに行く人たちでなかなか混雑している。他には、セレモニー・ホールや石材店が町に点在している、と言うよりは、墓に附属してある。なるほど、町が墓場に特化すれば、それに関する「産業」も自ずと発展するのである。墓守の町と言えようか。まったくもって奇妙な町である。

さて、これだけ墓ばかりだと目指す日本人墓地の場所がわからない。どうしようかと思ったところタウン・ホールの裏手に地元の歴史協会の建物(と言っても、トレーラー・ハウス)があるのを発見し、都合のいいことにちょうど開いている時間だったので、そこで尋ねてみることにする。ボランティアのようなお爺さんがひとりで居て、訪問の目的を告げると、日本人墓地の解説書きを取り出してくれた。どうやら、それぞれの墓地についてそこに埋葬されている著名人がリストアップされていて、訪問者の便を図っているらしい。さすが墓の町の歴史協会である。道順も教えてもらう。

各地から墓を訪れる人のために、辻には墓の案内看板が立つ。
Italian, Serbian, Japaneseという民族名の他に、霊園名なのか宗教/宗派名なのか区別が付かないが、様々な墓地があることがわかる。Pets Restというペット専用の墓地まである。
これだけいろいろあると、確かに看板でも出しておいてもらわないと道に迷ってしまう。

イタリア人墓地。このセレモニー・ホールの裏手の丘に墓地が広がる。セルビア人墓地。東方正教会系特有の十字架(‡)が見える


日本人共同墓地

日本人共同墓地(現在執筆中です)


咸臨丸の水夫の墓

咸臨丸の水夫の墓(現在執筆中です)
In Memory of TOME-TZO A Japanese Sailor of the War Steamer Kan-Din-Maru DIED


日本○軍咸臨船之水夫
讃岐国塩飽佐柳嶋
冨蔵墓

と刻んである(原文縦書き)
なお、裏面には"In Memory of TOME-TZO A Japanese Sailor of the War Steamer Kan-Din-Maru DIED"と英語で刻んであるが、この当時はまだ日本語のローマ字での表記法などは決まっておらず、富蔵が"TOME-TZO"、咸臨丸が"Kan-Din-Maru"になっている。

行ってきました!
[塩飽諸島の佐柳島にある冨蔵の墓(拝み墓)]

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