アメリカ調査旅行>>ニュージャージー物語:エジソンの足跡

エジソン映画の初一般上演の地

ニュージャージーからははずれるが、エジソンの足跡と言うことでニューヨーク市にある史跡を紹介しようと思う。エジソンは単なる発明家ではなくて、それを実利に役立て産業として育てるところまで持っていった人であり、そのために大都市ニューヨーク市は彼の発明のかっこうの宣伝の場であった。

ニューヨーク市マンハッタンのミッドタウンにあるメーシーズ・デパートは、市内でも最大級の規模を誇るデパートである。郊外からの電車が発着するペン・ステイションの近くにあって、駅デパートという雰囲気もどこかにある。5番街からはずれていることもあって庶民的な印象のするデパートである。
とはいえ知名度では他のデパートにも劣らず、日本からの観光客も多く立ち寄っている。

このデパートの34丁目に面した壁面に1枚のプレートが掲げられているのは、観光客だけでなく地元ニューヨーカーでも知る人はいないだろう。Macy'sという店名のプレートの上に掲げられているプレートには、"Here Motion Picture Began (映画発祥の地)"と書いてある。

銘板の解説によると、メーシーズ・デパートができる以前、この場所にあったコスター・アンド・バイアル・ミュージック・ホールで、1896年4月23日の夜、トーマス・アルバ・エジソンがヴァイタスコープVitascopeという方式で映画を上映したのがその始まりだと言う。

だれが映画を発明したかをめぐっては、エジソンとフランスのリュミエール兄弟との間で議論が絶えない。余談になるが、エジソンは電話の発明をめぐってもベルとその地位を争っていて、これらの論争は、彼が単に原理の発明で終わらずに実用化し事業化するという段階まで才能を発揮したことに由来するものであろう。映画の原理そのもの(パラパラ漫画)についてはこれはだれが最初にその原理に気が付いたかは定かではないが、エジソンはムイブリッジ Muybridgeの分析に触発されて映画の開発に取り組むことにしたようである。エジソンは1894年にキネトスコープというひとりずつ箱をのぞく仕組みの動画鑑賞装置を発明している。このキネトスコープにはイヤホン(以前旅客機の機内音響施設として付いていたチューブ式のもの)がついていて、エジソンは以前に発明した蓄音機 Phonographと組み合わせて音付きの映画に仕上げようとして1895年にはその実験もしているが、結局この試みは成功しなかった。一方のリュミエール兄弟は、1895年12月28日パリのグラン・カフェの地下でスクリーンに投射する方式のシネマトグラフの一般上映を行なって世間の耳目を集めている。このリュミエール兄弟の方式は今日の映画上映と同じ興行形態であり、(動画鑑賞装置ではなくて)映画を最初に上映したという意味で言うと彼らに軍配が上がる。エジソンは彼らの成功を知ってか知らずか、翌1896年4月23日にトーマス・アーマットThomas Armatの投影機を使って動画の一般上映を行なった。これがメーシーズ・デパートに掲げられているヴァイタスコープの上映になる。

つまり、映画を広く動画鑑賞装置としてとらえるならエジソンのキネトスコープがそのさきがけとなり、スクリーンに投射する興行形態として定義するならリュミエール兄弟のシネマトグラフがその最初のものとなるのである。ヴァイタスコープの上映はエジソンが自らのキネトスコープ方式をやめてスクリーン投影方式に追従したという意味があり、業界がひとつの方式に統合され、1889年に映画の撮影スタジオを作るなどエジソンの才能や資金がその後の映画産業の発展につぎ込まれたことを考えると、アメリカの映画産業界がその出来事を讃えるのも納得がいくだろう。


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