ブロンクス・リバー・パークウェイ

Bronx River Parkway

ブロンクス・リバー・パークウェイは、文字通りブロンクス川に沿ってニューヨーク市ブロンクス区から郊外のホワイト・プレインズまで走っているパークウェイである。1923年に建設され、アメリカでも最初のパークウェイとされている。
もともとブロンクス・リバー・パークウェイは、ブロンクス川沿いの環境保護を目的としたブロンクス川委員会がその事業の一環として、帯状に保全した川沿いの公園や緑地帯の中にレクリエーション用として自動車道路を通そうとしたものだった。この自動車道の設計を請け負ったのが造園家のマーケルで、1917年に計画が出来上がった。このマーケルの計画で、盛切を出来るだけ避け自然の起伏にあわせて道路にも起伏を持たせる、川の蛇行にあわせて緩い曲線を取り入れる、法面も広く緩くして道路を景観に溶け込ませる、上下線を分離し間に緑地帯を設ける、といった今日のパークウェイの特徴が出揃った。レクリエーション用の道路のため、トラックの通行は禁止し乗用車専用道とした。跨道橋などの工作物も、公園の景観にあわせて石造りでアーチの曲線を持つ優雅なものにした。ただし、ブロンクス川委員会では上下線の間を空けてしまうとその分だけ余計に土地が無駄になるという考えがいまだ強く、ブロンクス・リバー・パークウェイで分離できた区間は一部分にとどまった。
ウエストチェスター郡はニューヨークの上中流階層の住宅地であり、この「美しい」ブロンクス・リバー・パークウェイは住民の間で好評で、またパークウェイが通じたことによりニューヨーク市への通勤が容易になり住民が増加し不動産の価値が上がるという効果もあった。

以下、余談ながらブロンクス・リバー・パークウェイ以後のパークウェイの発展を概観してみる。
ブロンクス・リバー・パークウェイは河川の保全事業の一環として作られたが、その道路としての成功を受けて、ウエストチェスター郡ではパークウェイ建設のための委員会が作られ以後、道路事業としてのパークウェイが何本も作られていくことになった。公園の一部としての「美しい」道路から転じて、公園の概念を取り込んだ「美しい」道路として独自の設計思想になったのである。当初、パークウェイは道路の路盤そのものよりも修景事業にお金がかかるため、道路事業としては無駄が多いと考えられていた。ウエストチェスター郡が積極的にパークウェイの建設に取り組んだのは、その「美しい」道路が地域の高級住宅地としてのイメージを高めたからであり、実際、税収の増加によってパークウェイの建設費は賄えたと言う。現在ウエストチェスター郡を中心にニューヨーク大都市圏にあるパークウェイは、こうした考え方で「美しい」道路として建設されたものである。
今日、普通のフリーウェイや高速道路でも、曲線を取り入れたり、上下線を離したり、修景を行なうことが当たり前になっている。だが、パークウェイの発想が一般のフリーウェイにも取り入れられるのは、1933年の全国産業回復法による失業者救済のための公共事業として、そのお金のかかる道路構造が逆に公共事業を水ぶくれさせる手段として注目されてからである。純粋に道路行政としてパークウェイの思想が取り入れられるのは、1938年の連邦補助ハイウェイ法でようやく修景事業にも連邦の補助金が支出できるようになってからであり、一般のフリーウェイでもパークウェイの発想が当たり前になるのは1960年代まで待たなければならなかった。


クロス・ブロンクス・エクスプレスウェイ(I-95)から北に向かってブロンクス・リバー・パークウェイを走ってみることにする。ブロンクスに近いうちは、片側3車線あり、直線区間も多い。車窓も植樹帯の緑はあるもののそれが遮蔽壁となって単調な感じがする。アメリカの普通の高速道路(エクスプレス・ウェイ)とあまり違わない。
それでも、跨道橋にはパークウェイの特徴である石造のアーチを取り入れたデザインが用いられていて、ここがパークウェイであることがわかる。


ブロンクス・リバー・パークウェイがパークウェイらしくなるのは、スプレイン・ブルック・パークウェイへの分岐を過ぎて片側2車線になる頃からである。
日本の高速道路のように適度に曲線が入るようになり、景観も、単に植樹帯の緑があるだけでなく、文字通り公園の中を「高速道路」が走るようになる。上の写真はまさに公園と道路とが一体化した景観で、左手に公園内の遊歩道とベンチが見える。遊歩道と「高速道路」との間には芝生があり木々が所々に植えられているが、柵があるわけでもない。パークウェイの特徴として挙げられる上下線の緑地帯による分離は部分的にしかなされていないが、それがなくても、公園と道路との融合という道路設計者の意図は十分に伝わってくる。
左手の木々の背後にはブロンクス川が流れている。
写真:スカースデール Scarsdale 付近にて(以下同じ)

パークウェイのもうひとつのデザイン上の特徴である、石造りのアーチを持った跨道橋。
右手前にあるガードレールは公園と道路とを仕切っているというよりは、跨道橋下が狭くなっているためにスムーズに通行できるようにドライバーの視線を誘導する働きがあるように、実際運転していてそのように感じた。上の写真の手前下の位置にこの跨道橋があるが、ガードレールは橋の手前に末広がりにあるだけで、その他の部分にはまったく見られない。

緑に囲まれ、適度に曲線が入り、走っていて気持ちがいい道である。

また、パークウェイの概念に含まれるのかどうかわからないが、アメリカの道路としては珍しく全線に渡って照明が備え付けられている。

ただ、初期の頃に作られた道路のためか、出入りの加減速レーンの長さが短く、また急カーブである。スピードの出しすぎには注意したい。
こうした余裕のない構造は、日本で例えるならば国道25号名阪国道と似ている。

ブロンクス・リバー・パークウェイは、ホワイト・プレインズが近づいてくると信号があらわれたりして、完全なアクセス制限ではなくなる。やがて、正面にケンシコ・ダム Kensico Dam の築堤がまるでギリシアの神殿のような威厳を持って現われて、そこで道はロータリーになって終わる。