ニューヨーク上空散歩
成田からの長いフライトももう少しで終わり、ニューヨークのJFK国際空港へのアプローチに取りかかっている私の乗った飛行機は、けれども着陸できずにニューヨーク市の上空でホールド(待機)を命じられたようだった。
一刻も早く解放されたい身にとってはいささかの苦痛であるが、ふと窓の外を見やるとそこには息をのむような大都市の景観が広がっていた。世界でも有数の大都会は、数日前のストームですっぽり雪におおわれて、美しく光っていた。
ニューアークには、ニューヨーク都市圏にある主要な3空港のひとつ、ニューアーク国際空港がある。日本とはコンチネンタル航空が結んでいる。
画像(↓)の中で、自由の女神とエリス島の付近はクリック可能です。クリックするとそれぞれ拡大した画像を表示します。
飛行機は一旦進路を西に向け、マンハッタンをかすめ取るように通過した。
マンハッタンの摩天楼と、湾内には自由の女神(画像拡大)と、かつて移民管理局が置かれていたエリス島(画像拡大)がみえる。
自由の女神は有名だが、エリス島について少し説明を加えよう。マンハッタンと目と鼻の先のこの島には、かつて移民管理局が置かれ、ヨーロッパからの移民は本土に上陸を許される前に、ここで審査を受けた。この時点で病人は隔離され、社会主義者や無政府主義者は上陸を許可されなかったという。
コの字型になっていて、中央の水域に船が停泊し、コの字の下辺には入国審査を受けるためのホールがあり、上辺には病人を隔離する病棟が設けられた。映画「ゴッド・ファーザー」の冒頭のシーンで、イタリアから荷物ひとつで渡ってきた移民がずらりと並んで入国審査を待つシーンは、このエリス島の移民管理局が舞台である。
第二次世界大戦中は、ニューヨーク周辺の日系人を一時的に隔離する場所としても用いられた。
現在では、建物が移民博物館として保存されている。自由の女神行きのフェリーが帰りに立ち寄る。
写真に写っている光の粒は、窓ガラスに付着した氷の結晶に日光が反射したものである。
マンハッタンを通過しブルックリン上空へと来た飛行機は、進路を南に取り、ニューヨーク湾をアッパーからロウワーへと進む。
眼下には、住宅に埋め尽くされたブルックリンの街が広がっている。
アッパーベイ(右側の水域)とロウワーベイ(左側の水域)はナロウズと呼ばれる狭くなった水路で結ばれている。ニューヨーク湾の船舶交通の要衝であることがわかる。
ブルックリンの対岸はスタテン島で、ここもニューヨーク市の一部である。世界で4番目に径間の長い吊り橋ベラザノ・ナロウズ橋が、ブルックリンとスタテン島を結んでいる。
写真の上部がぼやけているのは、飛行機のエンジンからの高温のジェット噴射で空気が揺らいでいるためである。
ニューヨークを東京と例えると、コニー・アイランドは「江ノ島と浅草を合わせたような(櫻井寛『アメリカ鉄道夢紀行』東京書籍)」郊外のお出掛けスポットである。
この海岸は、20世紀の初めに地下鉄が開通して以来、ニューヨーク市民が手軽に出掛けることの出来るレクリエーション・スポットとして発達し、遊園地や水族館などもできた。
飛行機はロウワーベイを越えて、大西洋上に出た。ここで一旦進路を東に向けたらしく、窓の外に釣り針のように突き出た岬が目に入ってきた。
ロウワーニューヨークベイと大西洋を分けているのが、サンディフックと呼ばれる岬である。岬というよりは、砂州が潮流に乗って湾口まで発達してきたと言った方がいい。いずれにしても、このサンディフックがニューヨーク湾を抱え込んでいることには変わりなく、この張り出しによって湾への出入りはある一定の水路に狭められている。こうした地理によって、サンディフックはニューヨーク湾制水権攻防の戦略的拠点とみなされ、アメリカ軍はこの地に要塞を築き、湾口を射程に収めることの出来る大砲を据えた。
今日でも、沿岸警備隊の基地があり軍事的な意味合いは変わっていない。が、砂州自体は国立のレクリエーション・エリアとして広く国民に開放されている。また、大西洋に突き出ている条件を生かして海洋観測所が設けられている。
写真の上部がぼやけているのは、飛行機のエンジンからの高温のジェット噴射で空気が揺らいでいるためである。
撮影:2001年1月10日
All photos shown on this page were taken 01/10/2001 by TTS.
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