青ヶ島・八丈島行きの計画

今回の旅の目的地は青ヶ島と八丈島だが、どちらかというと青ヶ島へ行くことが主目的になっている。

八丈島までは東京・羽田空港から直行便が1日4往復飛んでいるし、船も晴海埠頭から1往復していていつでも行けるのに対して、青ヶ島は東京本土からは直行便がなく、八丈島を経由していくことになる。 八丈島からは船が青ヶ島へは、1往復、ヘリコプターが1往復(青ヶ島には空港はなく、かわりにヘリポートを利用してヘリコプター輸送している)しているが、船の就航率は4割ほどしかなくてまずあてにならない。ヘリコプターは比較的安定した就航率(8割)だが、これは定員が9名しかなく、予約はあっという間に埋まってしまう。 八丈島と青ヶ島では、島へ渡る困難さが全然違うのだ。
困難な方の青ヶ島へ渡ることを最優先させたスケジュールを組み、余裕を見て「中継点」となる八丈島を観光してくる。 そういう優先順位で旅程を組むことにした。

  1. (2005年)3月22日に羽田空港から八丈島空港へ朝一番の飛行機で飛び、そのままヘリコプターに乗り継いで青ヶ島へ入る
  2. 翌23日のヘリコプターで八丈島に戻ってくる
  3. もし23日に八丈島まで戻ってこれなかった場合を考えて、八丈島から東京・羽田空港への帰りの便を24日の最終便として、現地に1日余裕を持たせる。これなら最低でも八丈島で一日観光する時間を捻出できる
  4. さらに翌25日は予備日として何も予定を入れないことにする

という計画が出来上がった。


ヘリコプターの予約

日程が決まるとさっそくヘリコプターの予約をしなければならない。 これが取れてしまえば、行くことになる。取れなければ、そこで全てをあきらめられる。 船は最初から当てにしてない。
複雑な心境で予約センターなるところに電話をしてみると、話中だった。
予約センターと言っても電話が1本しかないのだろう。

しばらくたってもう一度、電話をしてみる。呼び出し音がずっと続いた後、いきなり、大きなおばちゃんの声が聞こえてきた。日にちを伝えると、行きも、帰りも、すんなり取れてしまった。あっけなかった。 当日は八丈島にいるのか聞かれ、東京から朝一の飛行機で飛んでくることを言うと、「飛行機が遅れた場合、乗り継げるかどうかの最終判断はこちら(東邦航空)で勝手にしますから」と言われた。この台詞は、いっしょうけんめい旅程を立ててる人にとっては無情な一言にも聞こえるのだが、向こうがダメというなら仕方がないというわけで、それはそれで人任せにできる気楽さもある。

八丈島から青ヶ島へはヘリコプターで渡るのが速くて確実。

青ヶ島の宿の予約

ヘリコプターが確保できたら、次は宿だ。
青ヶ島には民宿が5軒ほどある。民宿リストからそのうちの1軒を選んで電話をしてみた。

民宿の場合、電話をかけるタイミングにも気を遣う。昼間は兼業があったり、野良に出てたりして、つかまることが少ない。夕飯時に電話するのも、忙しくて嫌がられる。 泊り客の夕飯が終わって、ちょっとのんびりした頃、つまり午後9時前ぐらいが狙い時である。

その時を待って、準備万端で電話をかけた。
狙い通り、呼び出し3回で人が出た。

「はい。…」
『もしもし』
「はい。…」

こういう応答も想定範囲だ。

『民宿の予約の電話なんですが』
「何日?」
ようやく会話が始まった。
「何人?」
「仕事?観光?」
と、愛想もなにもないが、合成音声の自動予約よりもテキパキ進んでいく。あくまでも宿の予約という事務手続きなのだ。
そして次に
「ヘリで?船で?」
と聞かれた。この質問こそ、青ヶ島行きを志す人にとっては感極まる問いなのだが、ここでまごついていると回線が切れてしまいそうな不安がよぎる。こちらも事務的に
『ヘリコプターで』
と答える。いかん。事務的に答えたはずが、ヘリ、じゃなくて、ヘリコプターと言ってしまった。無意識に力んでしまったのだ。案の定
「ヘリコプターね。」
と確認が入った。

名前を聞かれて、次は電話番号かと身構えていると、その間合いで電話が切れた。

「予約承りました」もなければ「待ってますよ」もない。ましてや予約番号なぞあるはずもない。宿泊費を確認する間もなかった。が、とにかく宿は確保できた。

八丈島の宿は、帰りがすんなり帰って来れるかどうかわからないし、八丈島ぐらいになれば空港の観光案内所に駆け込めばいくらでも宿は取れるだろうというヨミもあって、宿は特に予約しないでおくことにした。

これで青ヶ島へ出かける準備は整った。


22日:羽田空港→八丈島空港


青ヶ島〜八丈島航路(還住丸・代船含む)の運賃は、平成17年3月1日から次のように改定されています。
大人:2350円
小人:1170円


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