お台場巡り

幕末期に全国各所に築かれた台場巡り
1853年のアメリカ東インド艦隊来航(ペリー来航)を始め、幕末、ヨーロッパ列強の艦隊が日本近海に遊弋し、開港・通商を迫った。こうした事態に対して、幕府及び各藩が海岸各所に築いたのが台場(砲台)である。全国で大小あわせて1000以上作られたと言われている。

写真 名称 設置者 所在地 備考
弁天岬台場 北海道函館市
観瀾山砲台跡
(蟹田台場)
津軽藩 青森県東津軽郡蟹田町 青森県高等学校地方史研究会編『青森県の歴史散歩』山川出版社、1990年、135ページより
平舘砲台跡 津軽藩 青森県東津軽郡平舘村 青森県高等学校地方史研究会編『青森県の歴史散歩』山川出版社、1990年、136ページより
助川海防城跡 水戸藩 茨城県
品川第3台場 幕府 東京都 開発が進むにつれて、12号埋め立て地が「お台場」として広く知られるようになったが、その由来はこの台場から来ている。12号埋め立て地とは回廊で陸続きになっている。
1999年8月現地取材
品川第4台場 幕府 東京都 臨海商業地区・天王洲アイルの一部に取り込まれているが、下層部に石垣が見える。シー・フォート・スクエアと名付けられた公園として、お台場だった記憶を留めている。
2003年1月現地取材
品川第6台場 幕府 東京都 東京湾上に作られた台場のなかで、今現在も海上に浮かんでいる唯一のものである。
1999年8月現地取材
東京品川沖には、当初、第1から第11まで11基の台場が築かれる予定だった。
しかし、そのうち完成したのは、第1、第2、第3、第5、第6の5基のみ。
第4、第7は未完成のまま放置され、第8〜第11台場は計画だけで終わった。
御殿山下台場 幕府 東京都 五角形の形は「品川区立台場小学校」の敷地として残っている。校庭内には、石垣に用いられていた石を見ることができる。
神奈川台場 横浜市 もとは東京湾上に作られたが、すっかり埋め立てられてしまい、JR貨物の東高島駅(貨物駅)の敷地になって形も残っていない。石垣を一部見ることができる。
小田原藩台場 小田原藩 神奈川県小田原市 小田原市教育委員会の解説図に江戸末期の小田原城の様子として3基のお台場が記されている。
生地台場 加賀藩 富山県黒部市 生地鼻と呼ばれる富山湾に海岸線が突き出た場所に作られた。灯台もあり、今も昔も要の地である。
2000年7月現地取材
大野台場 加賀藩 石川県金沢市 浅野川と河北潟の潟口に挟まれた場所に位置し水運の拠点を防備した。現在は金沢港に面して、大野お台場公園として整備されている。
2001年7月現地取材
橋津台場 鳥取藩 鳥取県羽合町
由良 鳥取藩 鳥取県大栄町 お台場公園として整備され、隣接して道の駅も作られて地域活性化の拠点になっている。
赤崎 鳥取藩 鳥取県
淀江 鳥取藩 鳥取県
境台場 鳥取藩 鳥取県境港市
菊ヶ浜土塁
(女台場)
長州藩 山口県萩市 下関砲台が攻撃、占拠されたことを聞き、萩城下防御のために急遽築かれた土塁。城下総動員で築かれたために婦女子も手伝ったという意味で「女台場」の呼び名があり、太平洋戦争中に銃後の守りの模範として顕彰された。
下関砲台 長州藩 山口県下関市 関門海峡を制するように長州藩によって作られた砲台。イギリス船砲撃により、4カ国連合艦隊の反撃にあう。
西宮砲台 兵庫県西宮市
和田岬砲台 兵庫県神戸市
雑賀崎台場 紀州藩 和歌山県和歌山市 雑賀浦の埋め立てをめぐって保存運動が繰り広げられている。
長崎鼻砲台跡 高松藩 香川県高松市屋島 香川県の歴史散歩編集委員会編『香川県の歴史散歩』山川出版社、1996年、180ページより
金磯砲台跡 徳島藩 徳島県小松島市小松島町金磯 豪農多田宗太郎が自前で建設し、藩に献上した。
徳島史学会編『徳島県の歴史散歩』山川出版社、1995年、175-177ページより
前浜砲台跡 土佐藩 高知県南国市前浜
須崎砲台場跡 土佐藩 高知県須崎市 現在保存されているのは西砲台跡。国史跡
久良砲台跡 宇和島藩 愛媛県城辺町 当時宇和島藩にかくまわれていた高野長英が設計・施工した。
県指定文化財
樺崎砲台跡 宇和島藩 愛媛県宇和島市 市指定文化財
志島ヶ原の砲台跡 松山藩 愛媛県今治市 安政2年(1855年)松山藩により建設。
愛媛県高等学校教育研究会社会部会編『愛媛県の歴史散歩』山川出版社、1991年、57ページより

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