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旧北陸本線跡・山中越え

[山中越えの地形図を見る]

福井県道207号

旧北陸本線跡・山中越えは、敦賀と今庄との間の山間部を越えるルートで、1896年(明治29年)7月15日に開通している。この区間の開通によって長浜から次第に伸びてきた北陸本線は福井まで到達している。長らく北陸本線屈指の山越えの難所として知られていたが、やがて1962年(昭和37年)6月10日の北陸トンネルの開通によって廃止された。
古くからの街道は敦賀と今庄の間を木ノ芽峠で越えているが、鉄道は馬蹄形に続く山並みに沿って北西に大きく膨らんだ曲線を描いて、木ノ芽峠の西側にある山中峠の下をトンネルを穿って線路を敷いた。

写真:国道8号から見下ろした杉津の集落。島影に身を寄せるように家が建っている。

今日では、山中越えの廃線跡は北陸自動車道に沿って残っている。最近は廃線跡がまとまって自転車道などに転用されることが多いが、20kmに渡ってそっくりそのまま道路となっているのは廃線転用道路としては最長の部類に入ると思われる。高速道路建設の際の工事用取り付け道路にちょうど都合が良かったことからほぼ全線にわたって道路になって生き残ることが出来たのだが、駅や信号所の跡地は高速道路の敷地に飲み込まれてしまっている。
今回は福井県道207号を完走する形で山中越えを探検してみる。福井県道207号は海沿いを走る国道8号から始まる。いわば杉津の集落から山中越えの廃線跡までの取り付け部がまずある。葛折りの山道を登りきって、いよいよ廃線跡だ。

今庄に向かって右手(写真は杉津方面に向けて撮ったので左手)に高速道路の築堤が表われる。県道は杉津を起点としているので高速道路にぶつかって折れる形になる。

山の上に出てみると地形はそれほど険しくもなく、元は鉄道の線路であった県道もまっすぐ伸びている(写真:第一観音寺トンネル前から杉津向きで撮影)。
道路になってしまっているのでそれほど感じないが、蒸気機関車にとってはきつい勾配が続いている。

第一観音寺トンネル。銘板は最近取り付けられたものらしく輝いている。
県道では始めてくぐるトンネルなので、高さ制限3.5mの標識が掲げられている。
ここから山中トンネルまでトンネルが連続する。地形図を見ると、日本海に向かって伸びているいくつもの尾根筋を横切るように線路が敷かれていることがわかる。1本1本のトンネルに派手さはないものの、ここのルート取りは地形を無視している豪快さがある。トンネルを何本も量産できるだけの技術力と財政力がうかがえる。山中越えのもうひとつの見所である。

ひとつトンネルを抜けると、次のトンネルがすぐそこに待ちかまえている。対向車に気をつけながら通ろう。

伊良谷トンネルには珍しく信号がついている。待ち時間は3分。

山中トンネルを抜け終えて、今庄側坑口を振り返って撮影する。かすかに反対側の坑口の明かりが見える。直線で見通しがよいので信号はついておらず、譲り合って通行するようになっている。
山中トンネルは山中越え区間の中で一番長く1194.5mを誇る。このトンネルはただ長いだけでなく、それまで海沿いを走ってきた線路が内陸の鹿蒜(かひる)川の谷筋に入るという、地形上も重要な意味を持つ。勾配も、トンネルの今庄口がサミットになっていて、登りと下りが入れ替わる。
これでトンネル区間は終わりだ。逆に杉津へ向かう場合はここからトンネル区間が始まるので、第一観音寺トンネルの入り口と同じように高さ制限のゲートがある。
トンネル内の照明や信号機のために敦賀側から引っ張ってきていた電線もここから先は必要なくなるので、前後の写真を見比べてもらえばわかるが、ここから先・大桐の集落までは電線や電柱のないすっきりとした景色が見られる。

山中トンネルの今庄側出口に山中信号所跡がある。山中越えの区間は単線なので通行量を増やすにはどこかに信号所を設けて列車同士を行き違えさせなければならない。ところが、勾配がきついのでそのまま側線を作っては列車を停めて置くことが出来ない。そこで、水平な待避線を前後に延ばした待避型のスイッチバックを作った。
実際の様子を再現してみよう。

左の写真は意図しないで撮ったのであまり詳しく写っていないが、山中トンネルの左手に空き地があるのがわかるだろう。今庄から敦賀に向かった列車が山中信号所で停止を命じられると、トンネルには向かわずにここにあった待避線に入る。
列車が一旦ここに入ってしまうと、この待避線は行き止まりになっているので、敦賀に向かおうとするとバックして這い出してこなければならない。ところがそのまま本線に這い出してきてしまうと、本線は急勾配なのでそのまま今庄に向かって滑り落ちていくことになる。そこで今度は、進行方向とは逆方向にももう1箇所待避線が必要になる。それが下の写真である。右のアスファルト舗装の道路が本線跡で、左の草に覆われた平地が待避線跡である。本線の勾配がわかると思う。

一方、敦賀側からやってきて山中信号所に停車する場合は、一旦今庄側の待避線に入り込み、今度はバックで山中トンネル横の待避線に這い出してきて、ようやく先頭を本線に向けて出発することが出来る。
つまり前後に伸びた2本の待避線がセットになっていて、その間を行ったり来たりスイッチバックをして列車が停止したり出発していくというのが、待避型スイッチバックの山中信号所の仕組みであった。この山中越えの区間は山中トンネルの今庄口=山中信号所が一番高くなっていて、両方から坂を登ってきた蒸気機関車たちはこの信号所ですれ違い一息ついて、それぞれの目的地へ向けて坂を下っていった。

鉄道時代を彷彿とさせるスノーシェイドが残っている。

線路跡は谷筋を一直線に下っていく。

やがて人里の気配がしてきた。大桐の集落である。山越えももう終わりだ。
山あいから平地へ出るところにあるこの大築堤を大桐集落から眺めてみた(下写真:杉津向きで撮影)。緩やかに曲線を描いて山懐に入っていく景色は、蒸気機関車に似合うことだろう。
鹿蒜川の谷筋に沿ってぐるりと山を降りていくため、このあたりは東から南へ向かうことになる。

築堤は大桐の集落を分断して続いている。
最初は駅を中心にして両側に家並みが広がっているのかと思ったが、大桐駅は集落を300m程今庄寄りにはずれた場所にある。線路はただただ集落を横切っているだけである。
今庄側から来るとすでに山登りは始まっていて、家の屋根の高さの分だけ線路が高度を稼いでいることがわかる。
【南】

大桐駅跡

ここまで来てしまうと山中越えの厳しさを忘れさせるような、のどやかな田園風景が広がっている。【南→東】

北陸トンネルの今庄側口。このトンネルのおかげで南今庄と敦賀の間が直結され、山中越えの区間は廃止されてしまった。



今庄駅には蒸気機関車が活躍した頃の給水塔などの設備が残っている。

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