沖縄県における道路元標について沖縄県では第二次世界大戦中に地上戦が繰り広げられたため、戦前の史料については公文書や文献はもとより、建物、石碑に至るまでことごとく焼失損壊してしまっている。戦前の道路法(旧)および道路法施行令(旧)の規定に基づいて設置された道路元標についても、その手がかりをたどることは非常に困難である。いまのところ、読谷村の喜名番所跡(旧役場跡)に当時の「読谷山村道路元標」が残存していることがわかっているのみである。 戦後は米軍統治下におかれ、琉球側の行政機構としては沖縄、宮古、八重山、奄美の各群島に群島政府がおかれた。文字通り焦土と化してしまい予算、物資もないなかで、1951年11月7日の日付で八重山群島製府が道路元標を建設している。この道路元標は今も石垣市に現存している。戦前日本の道路元標が高さ60センチほどの石柱であったのに対して、金属製のオベリスク型をしていてその様式にはアメリカの影響が見られる。ただしアメリカには全国レベルでの道路元標は存在していない。ワシントンDCのホワイトハウス前には0マイル・ストーンが置かれているが、実際の道路行政は州単位で行なわれ、道路の距離も各州で州境から計測している。日本の道路元標の伝統と、アメリカの影響が折衷した形の、珍しく貴重な道路元標である。 1952年に日本本土の占領が終わると、アメリカの琉球統治は平和条約第3条に基づく統治へと変わり、全琉球と奄美群島を統一した琉球政府が成立した(奄美群島は翌1953年12月25日に本土復帰)。琉球政府下で1952年9月に道路法(旧法)が成立し、同施行規則に道路元標についての規定が盛り込まれた。それは概ね戦前日本の道路法施行令を踏襲したものであった。日本本土では1952年の道路法(新)及び関連法令では道路元標についての規定が盛り込まれなかったことと比べると、戦後も琉球では道路元標が生きながらえたことになる。また琉球政府の道路法施行規則には「市町村における道路元標の位置について、この規則の施行前に群島知事の定めたものは、この規則により定めたものとみなす」という一文が盛り込まれ、これは前述の八重山群島政府の建てた道路元標などの存在を意識しているものと考えられる。ただ実際には、行政主席が道路元標の位置を定めた文書がまだ見つかっていないことや、現物も未発見なために、この規則がどこまで実効性を持ったかは確かではない。
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1920年4月1日 |
道路法(旧)施行 道路法施行令(旧)施行 | ||
1922年4月27日 | 内務省令第20号 | 道路元標に関する件 | |
道路法施行令(旧)
第八条 1 東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス 2 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ハ前項ニ規定スルモノヲ除クノ外府県知事之ヲ定ム 第九条 1 道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク 2 道路元標ノ様式ハ内務大臣之ヲ定ム 3 道路元標ハ管理者之ヲ建設スヘシ等級ヲ異ニスル道路ニ係ルモノナルトキハ上級道路ノ管理者之ヲ建設スヘシ 内務省令 道路元標に関する件 第一條 道路元標二ハ石材其ノ他ノ耐久性材料ヲ使用スヘシ 第ニ條 道路元標ハ別記様式二依ルヘシ 第三條 道路元標ハ其ノ位置ヲ表示スル爲道路に面シ最近距離ニ於テ路端ニ之ヲ建設スヘシ 第四條 特別ノ事由アル場合二限リ前二監督官廳ノ認可ヲ得テ前二條ノ規定二依ラサルコトヲ得 備考 一 表面ニ市町村名ヲ記載スルコト能ハサル場合ハ側面ニ之ヲ記載ルコトヲ得 二 前圖ニ示ス寸法ハセンチメートルヲ單位トス | |||
戦前に道路法(旧)および道路法施行令(旧)の規定に基づいて建てられたと思われる「読谷山村道路元標」が読谷村に残っている。 | |||
第二次世界大戦・沖縄地上戦 | |||
1951年11月7日 | 八重山群島政府が道路元標を建てる(オベリスク型)。石垣市に現存している。 | ||
1952年4月1日 | 平和条約第三条にもとづく統治
琉球政府成立 | ||
1952年9月29日 | 立法第40号
(即日施行) | 道路法(旧法) | |
1953年6月29日 | 規則第51号 | 道路法施行規則 | |
第5条 道路元標の位置は、行政主席が定める。
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戦前の道路元標についての諸法令をほぼそのまま踏襲している。ただし様式の単位が「呎(フィート)」になっているところが米軍の占領下を示している。1フィート=約30センチ。 | |||
1965年7月20日 | 立法第64号 | 道路法(新法)制定 | |
1965年1月14日 | 規則第3号 | 道路法施行規則(新)制定 | |
道路元標についての規定は盛り込まれなかった。 | |||
1966年1月19日 | 道路法(新法)施行 | ||
1972年5月15日 | 本土復帰 | ||
【作者あとがき】最近このページをご覧になられてわざわざ石垣島と沖縄本島の読谷村まで道路元標を見に行かれた人からメールをいただきました。その行動力に感服するとともに、このページを作っててよかったなと思いました。
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