琉球政府道
琉球政府道路政策史(妙)
アメリカ統治下の沖縄における道路政策はその根本になる道路法の制定時期を区切りとして3つの時代に区別できるだろう。
ひとつは1952年9月の道路法(旧法)制定、施行以前で、戦争直後の混乱期で、琉球を占領したアメリカ軍がその軍事的必要に応じて道路を整備していた。
第2の時期は、1952年9月の道路法(旧法)が施行されていた時期である。この年の4月に琉球政府が成立し、戦後復興に向けて歩み始めた時期にも当たる。現に政府が維持管理している道路を政府道と見なし(告示第33号)、道路法を制定即日に施行するなど、すでにある道路を追認しながら行政の形を整えたと言える。道路網は、政府道、市道、町村道の順に等級を設け、琉球政府の所在地を頂点とした中央集権的な傾向がある。また、道路法施行規則なども含めて、戦前の道路法(大正8年制定、翌9年施行)を参考にしたことが伺える。政府道の路線の一つとして「地方開発のため必要にして将来前各号の一に該当する路線」を含めていて、道路も満足に通じていない「未開の地」が存在していたことも読みとれる。
第3期は、1966年の道路法(新法、1965年制定)施行以降である。この法では、第1条で立法の目的として「道路網の整備を図る」ことを掲げ、第5条で「政府道とは、琉球全域にわたる幹線道路網を構成」すると規定するなど、道路網の構築を積極的に打ち出したところに特徴がある。また第1条で「公共の福祉を増強することを目的とする」と述べ、日本国憲法の影響を強く受けている。道路の種類を政府道と市町村道の2種類に簡素化し、市と町村の間での等級差をなくしている。「琉球政府の所在地」という定義もなくなっている。各種法律が整備されてきたこともあるのだろう、他の法との整合性にも配慮した条文になっている。だが、1972年には琉球は日本へ復帰を果たし琉球政府は解散してしまうため、この7年間の間にどれだけ道路網を整備することができたかは疑問が残る。実際のところは、道路整備の理念を謳いあげただけに留まったのではないだろうか。
以上は琉球政府の道路行政を中心に見たものだが、沖縄の道路を語る場合にアメリカ軍がその軍事目的に建設、維持管理していた軍道の存在を無視することは出来ない。例えば本島を南北に貫いていた「1号線」だが、1953年9月の政府道の路線認定では政府道一号線として読谷村字大湾〜国頭村字奥までの区間しか出てこない。読谷村字大湾〜那覇市通堂町の区間は軍道として琉球政府の管轄が及ばなかったからである。
軍道が政府道へと移管されるのは、日本復帰を果たす直前の1972年4月25日(告示第129号)のことである。
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1952年4月1日 | | 平和条約第三条にもとづく統治
琉球政府成立 |
1952年9月29日 | 立法第40号
(即日施行) | 道路法(旧法) |
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(道路の種類) 第7条 道路を分けて、左[下]の三種とする。
- 政府道
- 市道
- 町村道
(道路の等級) 第8条 道路の等級は、前条記載の順序による。
(政府道の路線の認定) 第9条 政府道の路線は左[下]の路線にして、立法院の承認をへて行政主席がこれを定める。
- 琉球政府の所在地から市町村役場所在地に達する路線
- 琉球政府の所在地から枢要の地又は港しんに達する路線
- 琉球例島枢要の地からこれと密接な関係のある枢要の地又は港しんに達する路線
- 数市町村を連絡する重要な幹線にしてその沿線地方と密接な関係のある枢要の地又は港しんに達する路線
- 地方開発のため必要にして将来前各号の一に該当する路線
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| 告示第33号 | 政府道の暫定認定
道路法(琉球政府)第9条の規定に基づいて政府道を別途認定するまでは、現に
政府が維持管理している道路を政府道と見なす
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1953年6月29日 | 規則第51号 | 道路法施行規則 |
| 規則第52号 〜第59号 | その他道路法に基づく規則 |
1953年9月28日 | 告示第105号 | 政府道の認定[一覧を見る] 道路法(琉球政府)第9条の規定に基づく
沖縄群島72路線、宮古群島16路線、八重山群島9路線、奄美群島25路線 |
1953年10月19日 | 告示第120号 | 政府道の供用開始 沖縄群島48路線、宮古群島11路線、八重山群島6路線、奄美群島13路線(部分供用も含む) |
1953年12月25日 | | 奄美群島が日本に復帰する |
1954年9月7日 | 告示第143号 | 政府道の供用開始 沖縄群島17路線(65/72)、宮古群島5路線(16/16)、八重山群島2路線(8/9)(新規路線分のみ、部分供用も含む)
この他にすでに一部区間が供用されている路線に供用区間を追加5区間 |
1963年5月7日 | 告示第102号 | 政府道の供用開始 一三号線国頭村字安田−字奥を含む5路線区の供用が開始される。
一三号線国頭村字安田−字奥の開通によって沖縄本島を一周する道路が開通したことになり、記念切手が発行される(切手では、肝心の開通区間=北部東海岸がやんばるの山並みに隠れて見えていない)。 |
1965年3月5日 | 告示第75号 | 政府道の路線名の変更 沖縄本島の政府道27路線について路線名を従来の地名式(○○××線)から番号式(○号線)に変更する。沖縄本島については道路番号による体系に整理される。 |
1965年7月20日 | 立法第64号 | 道路法(新法)制定 |
1966年1月19日 | | 道路法(新法)施行 |
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(道路の種類) 第3条 道路の種類は、次に掲げるものとする。
- 政府道
- 市町村道
(政府道の意義及び路線の認定) 第5条 第3条第1号の政府道とは、琉球全域にわたる幹線道路網を構成し、かつ、次の各号の一に該当する路線で、行政主席がその路線を認定したものをいう。
- 市又は人口2万以上の町(以下これらを「主要地」という。)とこれらと密接な関係にある主要地、港湾法(1954年立法代59号)第2条に規定する特定港湾若しくは重要港湾若しくは地方港湾、魚業法(1959年立法第158号)第6条に規定する第2種漁港若しくは第3種漁港若しくは飛行場(以下これらを「主要港」という。)又は主要な観光地とを連絡する道路
- 主要港とこれと密接な関係にある主要な観光地とを連絡する道路
- 2以上の市町村を経由する幹線で、これらの市町村とその沿線地方に密接な関係にある主要地又は主要港とを連絡する道路
- 主要地、主要港又は主要な観光地とこれらと密接な関係にある前各号の一に規定する政府道とを連絡する道路
- 前各号に掲げるものを除くほか、地方開発のため特に必要な道路
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1971年6月17日 | | 沖縄返還協定に関して、外務大臣愛知揆一とアーミン・H・マイヤーの間で次の道路(軍道)について日本国に移転されることが合意された。
路線名 概算距離
1号 66キロメートル
5号 13キロメートル
6号 7キロメートル
7号 9キロメートル
8号 10キロメートル
13号 62キロメートル
16号 8キロメートル
24号 13キロメートル
44号 12キロメートル
その他
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1972年4月25日 | 告示第129号 | 政府道路線認定に関する告示 軍道の大部分が政府道に移管される。 |
1972年5月15日 |
| 本土復帰 |
1975年5月20日 | | 沖縄自動車道自動車許田IC〜石川IC 25.9kmが開通。7月沖縄海洋博開催 |
1978年7月30日 | | 自動車交通をアメリカと同じ右側から日本本土と同じ左側に切り替え
730(ナナサンマル) |
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