肱川嵐

大洲市に泊まった翌朝、6時ごろに目が覚めた。まわりはまだ暗い。そのうち明るくなるだろう、明るくなったら起きようと思って ベッドの中でまどろんでいたが、一向に明るくならない。天気でも悪いのかと思って窓の外を見ると、一面の霧が立ち込めていた。
大洲は霧の出やすいところなのかなとぼんやり考えていたが、はたと思い当たることがあった。「肱川嵐」である。 大洲盆地に蓄えられた霧(冷気塊)が肱川を下り、河口にある長浜の町を覆いつくすという気象現象である。晩秋から冬にかけての 特定の条件がそろった時にしか見ることができない。

大洲に宿を取ったのは全くの偶然だったがこの千載一遇の機会を逃すのはもったいない。 跳ね起きると、急いで荷物をまとめて宿を出た。

肱川嵐は大洲盆地から長浜にかけての肱川沿いの十数キロメートルにおよぶ気象現象であり、 刻一刻と変化していくため、全体像をつかむのはなかなか難しい。ここでは筆者が体験した肱川嵐をその時系列に従って 紹介していこうと思う。


07:13 白滝付近の肱川

車のヘッドライトを照らしながら肱川沿いの県道を、長浜方向に走らせる。途中で川の様子を観察するために 白滝付近で車を停めてみた。

辺りはまだ暗い。水面から盛んに湯気が立ち上っている。霧は川下に向かって流れているが、風はそんなにない。
※奥側が上流方向

肱川嵐

07:21 長浜大橋〜大和橋間

予讃線の特急列車が通り過ぎていった。
※奥側が上流方向

肱川嵐
肱川嵐

このあたりは川幅は200m近くある。対岸のアパート群もほとんど見えない。
※左が上流方向

肱川嵐

07:27 長浜大橋着

長浜大橋に到着した。風がゴーゴーと音を立てて吹き抜けていく。
※左が上流方向

肱川嵐

07:45 肱川嵐展望台(肱川右岸)

肱川右岸の高台にある肱川嵐展望台(標高160m)に登る。
いったん肱川沿いを離れると、不思議なことに霧が晴れ風も収まった。その理由はこの展望台に 登ると一目瞭然である。肱川は河口付近も両岸に標高200m山が屏風のように並んでいて、エアダクト状に なっている。その通り道を風が一気に駆け抜けているのである。霧を抜けると天気は快晴である。
霧は、この展望台の高さと比較して、だいたい標高100mぐらいまで立ち上がっているようである。
※左が上流方向

長浜大橋にも霧が吹き付けている。新聞やテレビでの報道で見る、定番の景色である。

肱川嵐
肱川嵐

07:56 肱川嵐展望台(肱川右岸)

日が次第に昇ってきて、山越しに長浜の町にも朝日が届くようになって来た。家々の 屋根が白く輝いている。
肱川嵐がこれほどの規模のものと知る前までは、陽光が照り始めるととっとと霧散してしまうものかと 思っていたが、とんでもない。肱川の上流から次から次へと霧と冷気塊が供給されて、嵐はなおも続いている。 むしろ白い霧が朝日に照らされてより一層白く輝いて、美しさを増している。
※左が上流方向

肱川嵐

08:17 肱川嵐展望台(肱川右岸)

展望台から河口、海の方向を見渡してみる。
海へ出た霧と冷気塊は地形的な制約がなくなって、高さを減じ、海面に薄く放射状に 広がっていく様子がわかる。(左手前が肱川上流方向)

肱川嵐

08:30 肱川嵐展望台付近(肱川右岸)

海上を見渡せる場所に移動した。霧(冷気塊)が沖合いどれくらいの距離まで 達しているのか距測が難しいが、数キロメートルまでおよんでいるのではないだろうか。

手前の港は長浜港。長浜の港湾としての機能は江戸時代初期から開かれたが、肱川の河口側の江湖(えご)が 中心だった。外港にあたる現在の長浜港が開かれたのは安政6年(1859年)のことである。

肱川嵐

08:43 肱川河口(新長浜大橋)

展望台を降りて再び河口付近に戻ってきた。この時間になると、だいぶ霧も晴れ、風もまだ吹き付けているが だいぶん穏やかになってきている。
手軽に霧の風情だけを味わうのであれば、この時間から出かけても間にあうだろう。

肱川嵐

08:49 長浜大橋

朝日が差し込むようになって来た。霧のたちこめる中、朝日に影を作る長浜大橋は、幻想的な雰囲気である。

霧が刻々と変化する様はいつまで見ていても飽きない。橋の上に大きなウェイトを載せた長浜大橋 (バスキュール式鋼鉄製開閉橋)もユニークな形も、この景色のアクセントになっている。

肱川嵐

肱川嵐も収まりかけてきたので、一度長浜を離れて再び肱川の上流に向かってみる。 [次へ進む]

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