大正国道14号碑
滋賀県米原町醒ヶ井に残る、大正時代の国道14号の石碑醒ヶ井は中山道の宿場町で、往古から関ヶ原を越えて関西と東国とを結ぶ超一級の交通路がこの地を通ってきた。明治以降もそれまでの旧中山道を引き継ぐ形で街道が通っていたが、大正9年に道路法が施行され新しい国道網が出来上がると、国道14号に改められた。 この国道14号は東京から京都まで旧中山道を忠実になぞっているのだが、かなりの部分が他の国道と重複していて、(1)長野県の佐久で北国街道から別れて、和田峠、下諏訪を経て、岐阜県の加納までの木曽路の区間と、(2)関ヶ原で北陸(石川県庁)へ向かう国道12号(今日のR358が関ヶ原から長浜に抜けている区間に相当)と分岐した後、滋賀県草津でかつての東海道である国道2号に合流するまでの区間が、国道14号の実体であった。醒ヶ井は(2)の国道14号の単独区間に位置していたために、こうした石碑が作られたものと思われる。 ところが、昭和9年の国道路線の改訂で、下諏訪から木曽路を経て、関ヶ原を越えて、草津に至る国道14号の主だった区間が国道8号に編入されてしまい、単独で残っている区間は長野県の和田峠越えの区間にだけになってしまった(旧道路法では国道は東京市と他の地点を結ぶように定められているので、重複していても路線としては依然東京と京都とを結んでいる)。醒ヶ井の国道14号は国道8号に重複する下位の国道として、存在することはするが、実体はもはやなくなってしまった。
そして戦後の昭和27年に新道路法が制定されその下で新しい国道の体系ができあがると、関ヶ原を越える区間は国道21号となり、この時点で、醒ヶ井の国道14号碑は完全に歴史的存在になってしまった。 醒ヶ井は水の町で、集落の至る所から水が湧き出ている。日本武尊が伊吹山の妖怪の毒気に当てられたときに、清水を飲んで我に戻ったことから、「醒める井戸」ということで醒ヶ井の名が付いたという由来が伝えられている程である。家々の間に水路がめぐらされていて、清水が生活に溶け込んでいる。 [戻る] (C) TTS 1997-2008 All rights reserved |