大正国道5号線山形県南陽市鳥上坂

鳥上坂国道改修銘板

大正国道5号線は、「東京市ヨリ青森県庁所在地ニ達スル路線」として定められている。
とはいえ、現在の国道4号やJR東北本線に沿ったルートではなく、福島市から奥羽街道に沿ったルートとなっていて 現在の国道13号にほぼ匹敵する。経由地として定められているのは次の地点。 「四号路線(福島市本町ニ於テ分岐) 米沢市 山形県南村山郡堀田村大字成沢 山形市 秋田市(川尻、泉経由) 弘前市」
※山形県南村山郡堀田村大字成沢は、現在の山形市蔵王成沢



大正時代の国道5号線の探索。今回の旧国道へのアプローチはなかなか劇的だ。
南陽市側(赤湯)から国道13号を北へ向かい、鳥上坂(とりあげさか)に差し掛かると、坂道への助走を付けるように山麓を大きく迂回していた JR奥羽本線が摺り寄ってくる。緩勾配であらかじめ標高を稼ぎ、ブドウ畑の斜面のはるか上を走る鉄道に、道路は急に勾配をきつくして 追いつこうとする。
やがて両者が同じ高さに並ぼうかというところで、線路の土手にぽっかり「穴」が開いている。モーテルへの看板も立っていて「裏道」への 入り口の雰囲気がしている。

この土手の穴をくぐる道が、旧国道である。
国道側から見るとコンクリートで固められていて、高速道路の土手をくぐるようなカルバート(函渠)構造かと思うと、アーチ状の天井に、 赤い煉瓦が積み上げられている。旧国道側に出てしまうと、要石がはめ込まれ、壁柱(ピラスター)もしっかりと造り込まれた立派なアーチ トンネルだったということがわかる。この土手の穴は、羽州街道架道橋(または陸橋)と呼ばれるもので、この区間の奥羽本線が開通した 明治32年(1899年)に作られた構造物ということである。
羽州街道架道橋を抜けると掘割状になっている(実際は、谷筋の道の視界の一方が鉄道の土手で塞がれた)が、苔むした石垣が積まれて いて歴史を感じさせてくれる。ここからが旧国道探索の開始で、道は一直線の緩い勾配となって鳥上坂を登っていく。

坂道は一定勾配の一直線で、探索で歩くには単調だが、車道としてはかなり「高規格」に整備されたことがうかがえる。

そのまま歩いていくには退屈なので、道端をいろいろ眺めていると、線路の土手の中ほどに打ち込まれている杭が目に入った。
「国道界」と刻まれている。裏面を見ても事業主体名は刻まれておらず、年代などを特定する手がかりがないのは残念だが、 ここがもともと国道だった証左である。

羽州街道架道橋

JR奥羽本線の土手に開いた「穴」。この向こう側に旧国道が続いている


大正国道5号線
大正国道5号線

一定勾配の一直線で登っていく坂道。峠越えの道としてはかなりの「高規格」である。
手前に写っている杭が「国道界」


国道界

大正国道5号線

法面に、石垣で囲まれた人為的に作った窪みがあった。水が湧き出ているようではあるが、土や枯れ草で だいぶ埋まってしまっている。誰も見向きもしなくなって久しいようだ。
だが、今は頭の中は大正時代から昭和初期のことを考えるのにいっぱいなので、往時をあれこれ想像してしまう。きっと清冽な 清水が湧き出ていて、旅人が喉を潤おしたに違いない。いや待てよ。牛馬の水飲み場だったということも考えられる。
こうした想像をしながら歩く旧国道は、やっぱり楽しい。

そして、目的の國道五号線の銘板が見えてきた。これが鳥上坂の旧国道探索の一番の見所である。大正国道の制度を今に 伝える貴重な史料である。
私なんかはそうした意気込みで銅板を眺めるが、今にも崩落しそうな岩に埋め込まれている。危なっかっしい。県の道路事務所などのしかる べきところがきちんと保護してほしいとも思うが、自然岩にはめ込まれている姿自体が、往時をそのまま残しているようで手を加えて欲しくない 気もする。

銘板は昭和10年に行われた道路改修を顕彰したもので、「國道五号線 鳥上坂 昭和十年七月竣工」と記されている。
線形の直線化、勾配の均一化、そのための掘割や嵩上げといった工事が行なわれたのであろう。

鳥上坂の難所も4分の3ほど登った地点にあるこの銅板を眺めて、往時の旅人は一息ついたのだろうか。それとも、峠の頂上まで あと少しと、足取りも重くなった牛馬に鞭打ったのだろうか。逆に赤湯の方向に下っていく大八車などは、一直線に転がり落ちていく坂道に 気を引き締めて挑んだに違いない。
坂道は登りよりも下りの方が危険である。

水飲み場だろうか?
大正国道5号線
大正国道5号線
大正国道5号線

銘板附近から、赤湯側を振り返る。


坂の上まで行くと平地が広がり、空が広くなった。ブドウ栽培のビニールハウスが両脇に並んでいる。

大正国道5号線

水準点を見つけた。かつての主要街道沿いに設置された水準点がこうして鳥上坂沿いにあるというのも、国道としての来歴を 物語るようで嬉しい。
地形図によるとこの水準点の標高は268.6m。赤湯の市街地の標高は213m。50mの高低差を登ってきたことになる。

大正国道5号線

取材日:2008年4月5日


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