大正国道8号御坂峠 |
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御坂峠新国道の開削(昭和6年)大正国道8号の御坂峠区間の写真を載せた絵葉書を入手した。
絵葉書の表面には富士五湖を周遊した記念日付印が押されていて、その日付は10並びの、昭和10年10月10日になっている。
当時もこういうコレクターがいたのだろうか。それとも偶然だったのだろうか。
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各場面を詳しく見てみる。 V字の谷間から富士山を眺めると山裾が絞られ全体が菱形に見えることから、「ヒシ富士」と名付けられている。 この羊腸然とした部分はさっそく「五段返し」と名付けられたようだ。 | |
大正国道8号のルート変遷甲府止まりから京都(甲線)への「昇格」旧道路法に基づく国道ネットワーク(大正国道)の中で、国道8号のルートの変遷にはいくつか謎がある。 大正9年に路線が告示(内務省告示第二十八号)されたときは「東京市ヨリ山梨県庁所在地ニ達スル路線」
と定められ、他の大正国道と比べると短い路線だった。
それが昭和9年の内務省告示第二百五十一号により、「東京市ヨリ京都府庁所在地ニ達スル路線(甲)」として 改められた。 それまで旧中仙道をなぞってきた大正国道14号を横取りする格好で、晴れて東京と京都を結ぶ一級の幹線に昇格したわけである。 笹子ルートから御坂ルートへ大正国道8号のルート選定には、もう一つ議論になる箇所がある。山梨県の郡中地方と国中地方(甲府盆地)を分ける
御坂山地をどう越えるかで、ルートがぶれてきた。笹子峠を選ぶか(1:笹子ルート)、大きく河口湖畔へ迂回して御坂峠を越えるか
(2:御坂ルート)、の選択問題である。
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