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キティホーク:動力飛行初成功の地

キティホークへ

ワシントンDC(正確にはヴァージニア州のアーリントン)のホテルを午前10時すぎに出て、I-95を南下し、ヴァージニアの州都リッチモンドを外郭の環状線で迂回してI-64に入り東へ向かう。途中、ウィリアムズバーグ Williamsburgやジェームズタウン Jamestown、ヨークタウン Yorktownなど、アメリカ入植・独立に関係する歴史ある場所が続くが、通り過ぎる。南北戦争の史跡の多いリッチモンドも、渋滞を嫌ってバイパスしている。独立戦争と南北戦争はアメリカで史跡と呼ばれているもののかなりの部分を占めると思うが(特に東部や南部では)、いまいち食指が動かない。
ニューポート・ニュース Newport-Newsとノーフォーク Norfolkを隔てている湾をトンネルと橋で渡ると、フリーウェイも終わって、この先はUS-17を走る。とはいえ、畑の中の片側2車線の道で、時折交差している道も本線の方が絶対優先なので、それなりの速度で走り抜ける。
次第にモーテルの看板が目立つようになり、アンティーク・ショップ、ダイナーがちらほら表われるようになって、海辺に近づいていることがわかる。ライト兄弟記念橋で水道を渡ってアウター・バンクスと呼ばれる砂州に入ると、目指すキティホークはすぐである。
ワシントンDCからリッチモンドまで2時間(I-95 South)、そこからノーフォークまで1時間(I-64 East)、さらにキティホークまで2時間弱(US-17)、途中昼食休憩ともう1度休憩を取ったので、キティホークに着く頃には午後4時になろうとしていた。冬の日は短い。西日を浴びながらの見学となった。

丘から平地へ

キティホークに来たのは、人類初の動力飛行に成功した歴史的な場所を見るためなのだが、そこから、なぜキティホークが選ばれたのだろうという疑問が浮かんできた。

さしあたっての答えを言うと、ライト兄弟はワシントンDCの気象台に問い合わせて、冬場に適度な風が一定して吹いている土地として、ここ、キティホークを飛行機の実験地に選んだそうだ。私がキティホークを訪れた時も、野っぱらに冷たい海風が吹き付け常に星条旗が旗めいていた(写真)。なるほど、ライト兄弟は地の利を味方につけたように思える。
だが、ライト兄弟はこの風に頼って動力飛行を成功させたわけではない。動力飛行とは、エンジンで自ら推進力を創り出し翼で揚力を得て飛ぶのである。だから風のあるなしは関係ない。むしろコントロールの効かない自然の風は、推力と揚力の力学計算を狂わす邪魔者にすらなり得る。ここのところが、自然の風を必要とし風を読んで飛ぶグライダーとエンジンを搭載した動力飛行機との決定的な違いである。

ライト兄弟がキティホークに吹き付ける風を必要としたのは、動力飛行のためではなく、その前段階、空中における力の振る舞いを調べるためのグライダーを飛ばすためだったのである。
彼らは、キティホークの海岸で、グライダーの発進に適した小高い丘を見つけた。キル・デヴィル・ヒル Kill Devil Hill「悪魔殺し」という物騒な名前の付いた丘だ。この残丘は、北東側はなだらかな斜面になっているが、南西側は急に落ち込んでいて、グライダーの発進台としては好適地である。
(写真は南西側の急斜面。頂上には記念碑が立っている)

ライト兄弟は1900年から1903年にかけて、キティホークを訪れては凧やグライダーを飛ばして研究した。
やがて彼らはグライダーにエンジンを積み込むのだが、動力飛行をグライダーの単なる延長だと考えていた節がある。「丘」と「風」を捨てることができなかったのだ。初の動力飛行に成功する3日前、1903年の12月14日にこの丘から発進して動力飛行を為し得ようとして失敗に終わっている(3.5秒の滑空の後、動力による揚力を得ることができずに失速した)。
これはライト兄弟だけの思いこみでなく、当時彼らと動力飛行機の開発競争を繰り広げアメリカ陸軍の支援を得て最有力と見られていたラングレーも、ワシントンDCのポトマック川に浮かべた箱船のカタパルトから滑空して動力飛行機を飛ばそうとして失敗している。時同じく1903年の12月8日のことだった。
歴史を書き換えるのに必要な飛躍がここにあったと言えよう。


写真:初の動力飛行成功の地(手前の石が着地点で、奥の石が離陸点)と、ライト兄弟がグライダーの実験を繰り返したキル・デヴィル・ヒル。この間に人類の進歩があった

ついにライト兄弟は丘を降り、平地から空に飛び立つことになった。

グライダーやハングライダーの飛行には、適地というものがある。海沿いの一定の風が吹き付けるところであったり、小高い山で常に谷からの上昇気流が湧き起こっている場所であったりする。日本では石川県の獅子吼高原や、鳥取県の大山が知られている。
ところが(動力)飛行機に「適地」という言葉は聞かない。空港を建設する際に、その土地の気候を調べて風の癖というものを知ることはあっても、世界の至る所、至る都市が飛行場を持っている。動力を積み込んで自ら推進力と揚力を得ることによって、飛行条件を普遍化したものが飛行機だからである。
グライダーと違って飛行機はどこででも飛べる。キティホークでの実験成果を持ち帰って、ふたりの故郷のオハイオ州デイトンで動力飛行の初飛行に成功していたとしても何ら不思議はない。実際、彼らは一度飛行に成功してしまった後の飛行機の開発研究はキティホークではなくて、デイトンで行なっている。どこでも良いのに、なぜキティホークなのか。グライダー研究の適地としてライト兄弟が選んだという合理的に説明できる答えだけでなく、一度丘からの滑空に失敗しながらも再び今度は平地から飛び立とうと思い立った閃きがあってこそ、歴史はキル・デヴィル・ヒルのそばの名もない野っぱらを初動力飛行成功の地にしている。そこが歴史の必然性と偶然性が絡みあう(contingent)おもしろさでもある。

1903年12月17日に、ライト兄弟は初の動力飛行に成功した。これは、弟のオービルの言葉を借りると、「人をのせて、みずからの力で離昇し、速度を減じることなく前進し、離陸地点と同じ高さの場所に着陸した世界史上初の飛行」であった。

動力飛行初成功

いちど動力飛行に成功してしまえば、人は飛行機が空を飛ぶことを当たり前のものにしてさしたる感動も抱かなくなる。それと同じで、なぜキティホークが動力飛行初成功の地に選ばれたのか、キティホークの謎が解けてしまえばただの野原に見えてくる。野原を見に6時間かけてやってきたと言う事なかれ。歩き回り丘に登った末の、野原である。
というわけで、以下は野原の中でも見どころと呼ばれている処をひととおり紹介しておく。

動力飛行の初成功の地

その「最初の3回」の飛行の着陸地が石のモニュメントで示されている。4回目に兄のウィルバーが59秒間、852フィートの飛行に成功し、野原の隅にはその石碑も立っているが、離れすぎていてこの写真には写っていない。
逆光で見にくくてすみません。


上の画像にマウス(カーソル)を乗せると解説が表示されます(クリッカブルになりますが、クリックしてもジャンプはしません)。
解説の画像にうっかり放物線を書き足すところだったが、よく考えると、物を放り投げたのではないのだから、ライト兄弟の飛行機が放物線状に飛んでそして落ちたということはまずあり得ないはずだ。 ライト・フライヤーの機体は操舵に対して過敏に反応し、復元性が小さかった(特にピッチ角に対して)そうなので、ライト兄弟が巧みに操作しながら、それでもふらふらという感じで飛んだと言われている。
離陸地点の石と着陸地点の石の間に自由に航跡を想像してみてください。

ライト兄弟が滞在した小屋(右)と格納庫(左)

ただし両方とも復元したものである。

記念碑

記念碑が、キル・デヴィル・ヒルの頂上に立っている。
「IN COMMEMORATION OF THE CONQUEST OF THE AIR BY THE BROTHERS WILLBUR AND ORVILLE WRIGHT. CONCEIVED BY GENIUS, ACHIEVED BY DAUNTLESS RESOLUTION AND UNCONQUERABLE FAITH」と刻まれている。

ライト兄弟国定史跡の全景

キル・デヴィル・ヒルの頂上から野原を見下ろす。海が見える。大西洋だ。
ヒストリック・サイトの隣(写真では左)には空港がある。

資料館の中には、復元したライト兄弟のグライダーと動力飛行機フライヤーが展示されている。


By TTS

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