アメリカ調査旅行>>ニュージャージー物語:エジソンの足跡
メンロパーク・エジソン研究所跡
1876年から1887年までメンロパークに研究所を置いたエジソンは、1877年にはさっそくレコードの原形と言えるフォノグラフ(Phonograph)を発明し、メンロパークの魔法使い(The Wizard of Menlo Park)として一躍有名になった。
エジソンの数々の発明や改良は確かに人々に利便性と愉しみをもたらしたが、そうした彼の社会への貢献は電球の実用化によって半ば伝説化されたきらいがある。電球で夜の暗闇を照らし出した(enlighten)という事実が逆にメタファーとして用いられ、エジソン本人は合理主義とその現われである科学技術によって人々をみじめな状態から救い出した啓蒙主義者(enlightenment)として言及されるのである。 今、メンロパークの研究所跡は空き地になっていて当時の建物は残っていないが、そこに大きな電灯を模したモニュメントが立てられている。近くを走っているニュージャージー・トランジット鉄道の車内からも、森の木立の上に丸い電球がぽこっと顔を出しているのを見ることができる。 当時の建物は、ミシガン州デトロイトの近くにあるヘンリー・フォードのグリーンフィールド野外博物館で、アメリカ史を伝えるテーマパークの展示のひとつとしてこの復元されたものを見ることができる。自動車王のフォードはエジソンと関わりが深く、エジソンがウエスト・オレンジに研究所を移した後、1920年代に、もう使わなくなったメンロパーク研究所の建物をフォードがグリーンフィールドに建設していた屋外博物館に移設して保存しようとしたことがあった。フォードとエジソンがメンロパークを訪れてみると、建物は既に崩れかけていて手遅れであった。それでもフォードは、残された建材を使って写真を元にして彼の屋外博物館に研究所の建物を復元したのである。
[参考:グリーンフィールド野外博物館のメンロパーク研究所(英語)]
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