アメリカ調査旅行>>ニュージャージー物語:エジソンの足跡

ウエストオレンジ・エジソン研究所跡

ニュージャージー州のウエスト・オレンジに、エジソンの研究所跡がある。彼の研究所は最初、ニュージャージー州のエジソン(後にエジソンにちなんで自治体名が名付けられた)メンロ・パークにありここで電球の実用化を果たすなどの成果を挙げ、その後1887年にウエスト・オレンジに移った。それから1931年に死ぬまで彼はここで研究開発を行なった。
エジソンの後期の活動拠点であり、発明というよりは、すでに発明された物を実用に耐えるように改良し事業化していくための拠点であったらしい。これまでの発明で資金も十分あり、煉瓦立ての工場のような研究棟がいくつも並ぶ一大コンプレックスを作り上げることができた。そういう時期の研究所である。
現在はナショナル・パーク・サービスの管理する史跡(Edison National Historic Site)になっていて、保存されている。

Lakeside Ave.の側からメイン棟の一角にあるビジター・センターに行くと、ちょうど2:30のツアーが出るところだった。研究所内はツアーでないと見学できないので、一行がまだビジター・センター内の展示を見ている間に、慌てて加わる。

書斎

まずは、エジソンの書斎に行く。ここで彼は、人と会い、過去の特許や資料を調べ、アイディアを練った。
3階まで吹き抜けになっていて、それぞれの階には本棚が並んで資料がぎっしり詰まっているのだが、1階にいても全体を見通すことができる。1階の机から上の方を眺めて、あの資料は2階のあの角にあったなぁ‥‥「おーい、○○君、あそこの角にこれこれの資料があるから取ってきてくれないか」とやっていたことだろう。
このような開放的な空間に資料がずらっと並べられていると、書斎の主(あるじ)の頭の中をのぞいている気がする。小倉の松本清張資料館や、最近東大阪市にできた司馬遼太郎資料館のずらりと並ぶ蔵書も同じような効果を持っている。

照度不足のため色のデータが失われてしまった。

スクリーンが備え付けてあり、ここで上映会を開くこともあったらしい。


機械工場と素材庫

続いて機械工場を見学する。
2台の大きな電気モーターが設置されていて、そこからシャフトやベルトを通じて旋盤や裁断機に動きを伝えている。
ここでは、エジソンが描いたスケッチを見せて貰いながらレンジャーの説明を聞く。スケッチの印象は‥‥わすれた(^^;

照度不足のため色のデータが失われてしまった。

機械工場で一番おもしろいと思ったのが、この窓口である。窓口の向こうは資材置き場になっている。
資材置き場には、様々な大きさの木や金属の板、棒が整然と棚に並べられてストックされている。それだけでなく、椰子の実、牛の蹄、鯨の髭や象の皮などの自然素材もあって興味をひく。エジソンが電球の実用化の際に手当たり次第にいろいろな物を蒸し焼きにしてはフェラメントに試してみて、最終的に見つけたものが京都の竹であったというエピソードがあって、初めて聞いたときはよくも日本の竹なんか持っていたものだと驚いたが、象の皮なんかが置かれているところを見ると日本の竹もあってしかりという気がしてくる(もっとも、電球の改良はこの研究所に移る以前の、メンロ・パーク時代の業績であるが)。
この窓口からエジソンが身を乗り出しては「鯨の髭はダメだった。次、象の皮出して!」と助手に叫んでいる場面が想像できて、愉快だ。
この素材庫は「努力99%の人」エジソンにとって試行錯誤を繰り返して発明につなげていく源だったようだ。

機械工場見学の前に素材庫も見せてくれるので、わけの分らないものが置かれているのを見つけたら解説してくれているレンジャーに聞いてみると良いでしょう。変な物があっておもしろいです。素材庫は、盗難防止のため金網を隔てての見学になります。


化学実験室

次は別棟の化学実験室に行く。ラボラトリーというと普通はこのように試験管が並んでいる化学実験室を思い浮かべるけれども、ここではエジソンの研究所全体を言うのにラボラトリーという言葉を使っていて、ここはその一部に過ぎないと言う断りがまずレンジャーからある。
エジソンがこの化学実験所で取り組んでいた主なテーマが、タイヤの改良とバッテリーの実用化であったという。自動車王ヘンリー・フォードがエジソンを訪ねてきて、タイヤの改良について相談したこともあったそうだ。

フォードはエジソンと関わりが深く、1920年代に、エジソンがもう使わなくなったメンロパークの研究所の建物をフォードがミシガン州デトロイトの近くのグリーンフィールドに建設していた屋外博物館に移設して保存しようとしたことがあった。フォードとエジソンがメンロパークを訪れてみると、建物は既に崩れかけていて手遅れであった。それでもフォードは、残された建材を使って写真を元にして彼の屋外博物館に研究所の建物を復元した。こうして今日、ヘンリー・フォードのグリーンフィールド野外博物館で、アメリカ史を伝えるテーマパークの展示のひとつとしてこの復元されたメンロパーク研究所の建物を見ることができる。[参考:グリーンフィールド野外博物館のメンロパーク研究所(英語)]

バッテリーの実用化については、彼は電気自動車を普及させようとしてそのために軽くて効率の良いバッテリーの開発を企てていたようだ。実際には内燃機関駆動の自動車が一般化したのだが、今日では逆に環境問題やエネルギー効率の観点から電気自動車の開発に力が入れられている。
また、彼が開発したバッテリーは、従来の鉛と酸を用いるのではなく、ニッケルとアルカリ溶液を用いるものであった。これも今日ではアルカリ乾電池として実用化されている。
天才の発想が時代を先取りしているということだろう。


映画スタジオ

ツアーは最後に、復元されたエジソンの映画製作用のスタジオを見に行く。レンジャーはエジソンを映画そのものを発明したというよりは映画産業を創り上げた人として解説してくれた。映画スタジオを作り映画を制作するだけでなく、キネマスコープと呼ばれる興行用の機械も発明し、制作から上映まで全てを手がけていた。後のレコードの元になるフォノグラフの発明とあわせて、いわばメディア王であったらしい。発明家、事業家と並んで、エジソンのまた新たな側面が見える。

[エジソン映画の初一般上演の地]

映画の撮影で重要なのは、照明をどう当てるかである。エジソンの映画の制作スタジオは日光を照明にしていたので、下に台車が付いていて回転するようにできていて、常に日光が正面から差し込むような工夫がなされていた(写真:半円形のレールが見える)。

研究所の中庭を使っての映画の撮影も行なわれた。左は案内看板の写真から。

映画制作用のスタジオに行く途中に、1組の石灯籠が立っている。これは日本の物に違いない。解説が書いてあったので読んでみると、はたして日本からの贈り物であった。
この灯籠は、日本人としてエジソンの人類への貢献を永久に讃えるために、1935年に日本エジソン協会(Edion Memorial Committee Japan)が贈ったものである。銘文にはエジソンの墓前にと書いてあるが、もともとエジソンの墓の前にあった物をここに移したのか、それとも初めから願い叶わずここに置かれたものかはわからない。
当時の日本エジソン協会の会長は、明治憲法起稿にかかわり日露戦争講和に貢献した伯爵金子堅太郎で、彼の署名が銘文に刻まれている。彼が明治の始めにハーバード大学に留学していた時に、知り合いの伊沢修二と共にベル研究所を訪れて、当時ベルが発明したばかりの電話で日本語で会話をしている。日本人として初めて電話を使ったのは言うまでもなく、この時の日本語が英語以外で初めて電話で交わされた言葉だそうで、金子はベルに資金の援助も行なっている。彼は新しい技術に興味があったようで、日本エジソン協会の会長にもふさわしい人物だったことだろう。
[ペリー上陸記念碑(神奈川県横須賀市久里浜)に見える日米友好協会会長としての金子堅太郎]
この石灯籠は柚木と呼ばれる型で、日本でも最古の形を伝えているという。平安時代に関白藤原忠通が奈良の春日大社に寄進したものが今も残っている。藤原忠通の名前こそ出てこないが、銘文にはそういう平安時代から伝わる伝統的な様式である旨、石灯籠の由来が事細かに説明してある。
エジソンが電球の実用化の際にフェラメントに京都の竹を使ったことが知られているが、それとの関連で、照明のひとつである石灯籠が贈られたのであろう。


【グレンモント・ツアー】
今回は時間がなかったので参加できなかったが、エジソンが住んでいた邸宅が、研究所近くの丘の上(現在は公園になっている)にある。またこの邸宅の後ろにエジソンの墓がある。ビジター・センターから出ているツアーで見学することができる。

【行き方】
ウエスト・オレンジへは、I-280を西へ向かいExit 10で出る。ニューアークから向かうとみるみるスピードが落ちていくのがわかるような急な登り坂があって驚いた。ウエスト・オレンジの町は丘陵地帯の上に位置している。帰りは下り坂からニューヨーク市方面が遠望できる。ナショナル・パーク・サービスの管理する史跡(Edison National Historic Site)になっているので、茶色のサインに従っていけばたどり着ける。

かろうじて公共交通機関でも行けるようだ。ニューヨーク・ペン・ステイションからニュージャージー・トランジット(NJT)のモリスタウン線で、オレンジ駅(Orange)で下車する。駅から1.5kmほど。


[メンロパークの研究所跡]


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