丹那断層と丹那トンネル1930年(昭和5年)11月26日午前4時03分頃、伊豆地方北部を強い地震が襲った。後に北伊豆地震と名付けられたこの地震は、M7.0の規模で、死者272人、全壊家屋2,150戸という大きな被害をもたらした。
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丹那盆地の地形模型。模型中横に走っている線が丹那断層を表わしている(黒矢印)。盆地の縁を半周している白い線は熱函道路である。 | |
公園内に保存してある、断層の横ずれによってずれてしまった池(左)と水路(右)跡 | |
公園内にはトレンチが掘ってあり、断層面を観察することが出来るようになっている。 | |
地上の被害の大きさだけでなく、当時まさに丹那盆地の真下で掘削中だった丹那トンネルの建設にも大きな被害と影響をもたらしたことも、北伊豆地震が注目を集める所以となった。丹那トンネルは熱海と函南の間の山岳地帯を貫く7841メートルの長大トンネルで、それまで御殿場まわりだった東海道本線のルートを一挙に短絡するとともに、山まわりのルートに比べて勾配を緩和することができ、東海道の難所を克服することが期待される国家の一大プロジェクトであった。
丹那トンネルの東口のポータルには"2578","2594"という数字が刻まれている。これはトンネルの着工年の大正7年と開通年の昭和9年をそれぞれ皇紀で表わしたものである。
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現在、丹那断層を横切る形で、JR在来線の丹那トンネルと新幹線の丹那トンネル(新丹那トンネル・延長7959m)が並んで丹那盆地の下を貫いている。新丹那トンネルは、1941年に当時の弾丸列車構想用のトンネルとして掘削が始められ、1943年8月戦況悪化により工事中断するが、その後1959年(昭和34年)に東海道新幹線のトンネルとして工事が再開され、64年に開通している。開通まで16年かかった丹那トンネルと比べて、工期は通算で半分に短縮されている。これは技術の発達もさることながら、丹那トンネルの経験が生かされて地質についての知識が予め得られていたことによるところが大きいと言われている。 当然のことながら、丹那断層の存在も新丹那トンネル建設の際には当初から注目されていた。今でも、保守上の都合からだろうか、熱海側坑口のコンクリート側壁に断層位置が96.910km地点であることがペイントされている。
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