B-36超大型戦略爆撃機

B-36J Peacemaker 52-2220 ピースメーカー

プロペラが後ろ向きに取り付けてあるために、翼の前面はすっきりとしている。エンジンが翼と一体化したような造形で、横に細長く開いた吸気口がスマートな印象を与える。

超大型戦略爆撃機として第二次世界大戦中に設計、開発が始まり、戦後の1946年8月に初飛行、1948年6月に戦略空軍司令部(Strategic Air Command)に配備された。B-29の後継に位置づけられる。
1954年に製造が中止されるまで380機が生産され、超長距離空襲が可能な爆撃機として(大陸間弾道ミサイルが開発される前の、核爆弾の運搬方法として)1950年代を通じてアメリカ空軍の核戦略を支えた。護衛戦闘機を自ら運搬して任務終了後に再び回収して帰投する戦闘機運搬計画(FICON)の母機(空中空母)や、原子力ジェットエンジン開発のための実験機など、バリエーションも多い。

外観上の特徴は、後ろ向きに付けられた6発のプロペラと、2発がセットになって両翼で計4発取り付けられたジェットエンジンである。
初期型にはジェットエンジンは取り付けられていなかったが、戦後ジェットエンジンの開発が進むとプロペラ機では速度的に見劣りがするようになったために、追加されたものである。この当時は大陸弾道ミサイルは開発途中であり、核爆弾を使用するためには超長距離爆撃が可能なB-36を用いるしかなかった。戦略上B-36の優位性を常に保っておく必要があったわけで、ジェットエンジンの追加もジェット機への対抗措置として取られたものである。
冷戦初期、アメリカ空軍の核戦略を担う爆撃機として全幅の信頼を集めていながら、技術的には、プロペラからジェットエンジンへ、戦略爆撃機から大陸間弾道ミサイルへという過渡期にあたり、ところどころ中途半端な印象も与えてしまう機体である(戦闘機運搬計画も、空中給油技術が確立されて戦闘機の作戦継続範囲が広がると不要のものになった)。

朝鮮戦争の時期に現役でいながら、B-36は結局実戦で用いられることがなかったという。B-36は戦略爆撃(核兵器の運用)に専任していたわけで、核抑止力の考え方を言い表した「ピースメーカー(平和を作る者)」という愛称はまさに冷戦時代の幕開けを告げている。
1959年までに、後継のB-52にその役割を引き渡している。だがこの頃までには、地対空ミサイルと大陸間弾道ミサイルの開発によって、航空機による核爆撃の戦略的優位性は薄れてしまっていた。B-36が純粋な意味での「戦略」爆撃機の、最初にして最後の機体と言えるだろう。

後ろ向きに付いたプロペラと、前に突き出したジェットエンジンとの対比がおもしろい。


ジェットエンジンに操縦席と翼を付けただけのような造形のXF-85。まるっこい胴体は爆弾のようでもあり、そのままにB-36の弾倉に格納して敵地上空まで運ばれることになっていた。
任務終了後の回収用のフックが起きた状態で展示されている。

XF-85 Goblin ゴブリン

B-36を使った超長距離戦略爆撃のプランにはひとつの弱点があった。それは、B-36の航続距離があまりにも長すぎて、戦闘機が追いついて来れないと言うことであった。これでは爆撃機だけを丸裸のまま敵地上空に送り込むことになってしまう。
そこで考え出されたアイディアが、B-36に小型の戦闘機を搭載して運び、敵戦闘機が出現したら放出してこれを撃退し、任務終了後は再びB-36に回収して帰投するという、戦闘機運搬計画(FICON)であった。いわば空中空母である。

XF-85戦闘機は、B-36の超長距離戦略爆撃にともなう戦闘機運搬計画のために特別に設計、開発された機体である。
小さくまるっこい形が目を引く。ジャンボジェット機のエンジンをひとつだけ取り出してきて、翼を付けたような格好だ。ゴブリン−西洋の小さな邪鬼−という愛称も、戦略爆撃機の護衛というおどろおどろしい任務とは裏腹に、どことなく愛嬌のあるユーモラスな形をうまく言い表している。
この小ささや独特の形は、B-36の弾倉に格納して運搬できるようにするためのものである。戦闘空域に到着するまではひとつの爆弾扱いというわけである。

戦闘機が付いて来れなければ連れてってやるという発想といい、爆撃機に搭載するために爆弾サイズの戦闘機を開発してしまうことといい、軍事開発の現場を見た思いがする。

本務の戦略爆撃機(核爆弾投下)とそれを護衛する戦闘機(それに救護のための体制)をセットで揃えるという考え方は、アメリカ空軍に徹底してみられる。

XF-85を使っての空中での大型爆撃機からの切り離し、回収の実験が行なわれ、B-29型の爆撃機では何度か成功したものの、B-36型の爆撃機ではついに成功しなかった。デイトン・アメリカ空軍博物館の解説にも理由は詳しくは書かれていないが、B-36独特の後ろ向きに付いたプロペラが、後方から接近してきてフックを引っ掛けようとする動作に影響を与えたのではないかと思える。
そうこうしているうちに、空中で給油する技術が確立され戦闘機の航続距離を伸ばすことが可能になった(戦闘機が自前で爆撃機に付いて来れるようになった)ために、戦闘機運搬計画は中止され、XF-85戦闘機も実戦配備されることなく実験機のままで終わった。

滑稽な形のゴブリンも、そして戦闘機を戦略爆撃機で運搬して護衛に当たらせるという計画自体も、冷戦初期の技術的過渡期にあって懸命に戦略爆撃機の優位性を保とうとした試みのひとつである。


[戦略爆撃機B-52]

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