快晴!ワシントン山

6月13日(4日目)
その1
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8時頃に起き出して、朝食は用意できないとのことだったので、昨晩のケンタッキーのビスケットの残りなどで済ます。
昨晩は暗くてよくわからなかったが、ロッジ風のこぎれいな建物だ。手持ちのガイドブックLonely Planetによると、昨晩泊ったNorseman Inn & Motelは200年の歴史を持つ老舗の宿らしい。さらに、ベッセルBethelの町については「その町の大きさに比して驚くほど宿屋が多い。これは、この町が、メーン州の海岸部と北東部、ニュー・ハンプシャー州とを結ぶルートの交差点になっていることを示している」と書いてある。地図を見るとUS-2とME-26との交点にあたっている。我々がこの町で宿を見つけたのも、偶然ではなかった。
フロントに鍵を返しに行く。大きな犬がおとなしく寝そべっていた。

朝8:30に宿を発つ。今日はニューハンプシャー州のホワイトマウンテンズと呼ばれる山間部をめぐる予定でいる。まずは標高1916メートルのワシントン山に登る予定で、山の天気は変わりやすく、特に午後になると雲が出てくることが多いので、午前中には頂上に登り着くつもりだ。
ベッセルはもうニューハンプシャーとの州境の町と言ってもよく、森林帯の中の1本道(US-2)を西に向かえばよいがわかっている。ところがナビゲーションを間違えたらしく、正面に太陽が見える。東へ向かっている。5分ほどで気がついてもと来た道を引き返す。再び宿の前を通って今度こそニューハンプシャーの方向へ向かう。次第に森が深くなり、川も谷川のようになってくる。ときどき線路が並行して走っているのが見える。州境が近づいてくる。

ニュー・ハンプシャーに入る。おとつい海岸部のI-95を北上したときにニュー・ハンプシャーをかすめている(おまけにターンパイクを通って金も払っている)ので、初めてではないのだが、いよいよ来たぞという気分になる。
こころもち開けてきたと思ったところがGorhamの町である。ベッセルから45分、迷った時間を考えると30分程の距離だ。思ったより近かった。昨日はかなりいい場所まで来ていたんだな。事前のメモ書き通りにここでNH-16へと左折する。普通の交差点である。この交差点の角にガススタンドがあったのを見て、茶具が何か食べ物とか調達しておこうかと聞くが、ワシントン山は観光地だから向こうでも売っているだろうと行ってやり過ごす。結果は茶具の言の方が正解で、ワシントン山は観光地でお土産物は売っていても、水やソーダはそれほど揃っているわけではなかった。
Gorhamの町を通り過ぎようとしたところで昔の駅舎と機関車(エンジン)が屋外に展示されているのを見つけ、立ち寄る。特に博物館という感じでもなく(あとで調べたが、全米の鉄道博物館や車両展示場所を集めた"Guide to Tourist railroads and Museums, 2000"(昨年度版から更新してないけれども)には載っていなかった)、町のヘリテッジとして駅舎とエンジンを残しているのだろうと思う。展示されていたエンジンはBOSTON and MAINEの4625号機である。それ以上はわからない。他に車掌車(カブーズ)や貨車が展示されていて、貨車の一部は中を改造して展示をしているようだったが閉まっていて見ることができなかった。


ワシントン山オートロード

Gorhamの町で思いがけず小休止をして、それから南へ10分ほど走ると、ワシントン山の麓にたどり着いた。山頂まで続いているオート・ロードのゲートがある。時刻はまだ9:30過ぎ。空は快晴でここからでも山頂がくっきりと見えている。絶好の山日和である。

ワシントン山はニューイングランド地方で一番高い山として知られ、標高は6288ft.(1916m)ある。そんなに高い山でもないが、初代大統領のワシントンにちなんで名付けられる程親しまれている山だ。このあたりの山地は「大統領の領域Presidential Range」と呼ばれ、アイゼンハウアー山(4775ft.)、アダムス山(5798ft.)など歴代の大統領の名前に因んで名付けられた峰々が連なっている。もちろんワシントン山が一番高い。
19世紀には早くも観光開発が進められ、これから頂上まで利用するワシントン山オートロード"Mount Washington Auto Road"も1861年に開通している。ルートや道幅は開通時とほとんど変わっていないそうである。オートロードの麓の料金所から頂上まで標高差4727ft.(1440m)を、延長7.6mile(約12km)、平均傾斜度12%(100m進む毎に12m標高を増す)の道路で一気に駆け上がる。
民間の運営する有料道路なので、料金は高く、乗用車1台と運転手で$16、同乗の大人1人あたり$6を徴収される。2人で$22の計算である。すっかりリゾート地料金であるが、仕方がない。料金所で、案内の録音されたカセットテープと、ニューイングランド地方の最高所に登ったことの証明書、車に貼るステッカーなどの「グッズ」を貰える。
さっそくカセットテープを聞きながら、オートロードを登っていく。
道路は中央線のない細い道で、テープのガイドでは「細いけれども、車がすれ違えるだけの幅は十分にあるので、互いに譲り合って通るように」と言っている。一部非舗装部分もある(資料によると、舗装部分が65%で、非舗装のダート部分が35%)。
途中何箇所か駐車帯が設けられていて、譲り合ったり、景色を楽しんだりして、のんびりと進む。ラジエーター用の冷却水を補給できるように水のタンクも置いてある。
先にも書いたようにワシントン山は標高としては2000メートルもない山である。でも緯度が高い(北緯44度16分:日本でいうと根室よりまだ北に位置する)せいか森林限界が低い。麓の方は針葉樹に覆われていたが、まもなく「はい松」が広がるようになり、さらに登ると植生が草に変わる。頂上付近は岩と苔の世界になる。視界が開けているので山岳ドライブを満喫することができる。
雰囲気としては、標高3000メートル級の乗鞍スカイラインと似ている。

計算されていた通りカセット・テープの案内が終わるのとちょうどに、山頂にたどり着いた。約20分のドライブだった。雲の上の駐車場だ。

ワシントン山の頂上に立つ。何の苦労もなくここまでたどり着いたが、それでも頂上を極めるのは愉快だ。昨日はメーン州の海岸でロブスターを食べてたのに、次の日はこの地方で一番高い場所に来ている。我ながらこの変化が愉しい。
山頂には標高点が打ち付けられている(写真中矢印先)。円い金属の円盤が岩に打ち付けられていて、真ん中にあんパンのへそのようなポッチがでているのがわかるだろう。"6288.**6 FT."と刻印してあって、ワシントン山の標高を証明している。ここをクリックすると刻印の詳細(480*420pix, JPEG, 88KB)を見ることができる。アメリカの山岳トレッキングを楽しむ人たちの間でも人気の標高点のひとつらしい。
オートロードとは反対側山麓のブレトンウッズからは、ラックレールと歯車を噛み合わせて急勾配を上り下りするコグレールウェイCog Railwayが山頂まで走っている。それも蒸気機関車だ。
ラックレールを使った山岳鉄道ではスイスのアルプスが有名だが、ここワシントン山のコグレイルウェイこそが世界で最初に作られたラックレール式の鉄道で、今でも世界で2番目の急勾配を誇っている。
ニューイングランド地方の最高所であること、早くからオートロードが開通して簡単に登れることから、山頂にはさまざまな施設が設けられている。ずらりと並んだテレビ局の中継用アンテナもそのひとつ。戦争中は空軍が接収し、軍事的にも利用された。

ワシントン山頂には気象観測所が設けられていて、ここで1934年4月12日に地上における観測史上最高風速時速231mileを記録している。メートル単位に直すと時速約370kmになる。新幹線の前に立っていても時速270kmの風しか体験できない。無理に何かに例えるならば、名神高速道路と東海道新幹線が併走している区間が岐阜県にあるが、あそこで時速270kmの新幹線と時速100kmで走っている車がすれ違う瞬間の風が、風速231mileなのだ。と書いても、例えになっているような、なっていないような‥‥。
当時の観測所の建物は、いまは土産物屋になっている。

帰りに、料金所の建物の脇にポストがあるのでカセット・テープは返却しなければならないのかなと思っていたが、掲示を読んでみると「不要な人は返却できる」とのことだったので、私はもちろん必要なのでそのままもらってきた。


グローバル経済の起源の地:ブレトン・ウッズ

ワシントン山を降りて、ピンカム・ノッチPinkham Notchと呼ばれる谷間を南に向かう(NH-16)。US-302との交点に位置するGlenで、村一軒の雑貨屋でサブを頼んで昼食にする。US-302で一旦西へ向かって、今度はクラウフォード・ノッチCrawford Notchの谷筋に沿って北上する。プレジデンシャル・レンジの山塊を迂回するような形で、ブレトンウッズにたどり着く。

国際経済や国際政治に関心のある人なら、「ブレトンウッズ」という地名を一度は聞いたことがあるはずである。
まだ第二次世界大戦が終わらない1944年に、連合国側44ヶ国の政府代表(当然ソビエト連邦の代表も含まれていた!)がブレトンウッズにあるリゾートホテル・マウントワシントンホテルに集まり、戦後の経済体制について話し合った。そこでブレトンウッズ協定が結ばれ、米ドルを基軸通貨とする基軸通貨制(米政府は金1オンス=$35で自国通貨・米ドルの金兌換性を担保することによって、通貨としての絶対の信頼を獲得し、国際決済の基軸通貨として機能させる。他国の通貨は米ドルとペッグされる(固定相場制))の採用と、それを支えるための機関として、国際収支の安定のために短期資金を融通しあう国際通貨基金IMF、戦後の経済復興のための長期金融を担う世界銀行(国債復興開発銀行)IBRDの創設が決められた。このブレトンウッズ体制は、1973年のニクソンショックによって米政府が米ドルの金兌換性を一方的に放棄し主要通貨が変動相場制に移行するまで、長らく戦後自由世界の経済的な枠組みを創り出してきた。そして、IMFや世界銀行はその役割を変化させながらも、今なおグローバル経済を支える主要な国際機関になっている。戦後国際経済はもとより、今日のグローバル経済のいわば起源の地とでも言うべき場所である。

そういう記念すべき場所なのだが、ワシントン山の山並みを背景に広大な敷地を持つマウントワシントンホテルは、赤い屋根のお城風の建物で、どこかバブル時代のリゾートホテルを想像させた。

[続く]


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