This page shows John Manjiro's footsteps of Firahaven/New Bedford, MA from my brief visit to these towns in the summer of 2001. To properly browse this page, Japanese language kit should be installed in your computer.

ジョン・万次郎の住んだ町フェアヘヴン

6月11日(2日目)
その2
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Manjiro is shown as a contributer to the development of New Bedford's whaling industry in its heyday, at the Whaling Museum, New Bedford, MA.

ニュー・ベッドフォードの捕鯨博物館には様々な展示に交じって、この地の捕鯨で活躍した人、捕鯨の発展に貢献した人物が紹介してあるコーナーがある。そこにひとりの日本人が紹介されていることに気が付いた。
彼の名前はジョン・万次郎。
日本では、幕末、偶然アメリカに渡って西洋文明を摂取した先駆的な日本人として知られている。ジョン・万次郎とはよく考えるとおかしな名前で、John(ジョン)というのは英語圏の男子のファースト・ネームで、万次郎というのも下の名前で、アメリカと日本での呼び名をそのままつなげた格好だ。当時土佐の漁師だった万次郎には名字がなく、後年、日本に帰国した後幕府に召し抱えられてはじめて中浜姓を賜った。 パネルではManjiro Nakahama(中浜万次郎)として紹介されている。

ニュー・ベッドフォードの観光案内所に立ち寄ったときに、川を渡ったところにあるフェアヘヴンにジョン・万次郎ゆかりの場所があると聞き、せっかくだから訪れることにする。

Acushnet川の河口に開けたニュー・ベッドフォードには、その対岸に双子の弟分の町とでも言うべきフェアヘヴンがある。捕鯨の拠点として栄えたニュー・ベッドフォードとは対照的に、フェアヘヴンは住宅地として落ち着いた雰囲気の小さな町である。弟分と書いたがそれはニュー・ベッドフォードと比べてのことで、独立戦争時代の砲台跡が残っていたり、オイル王のロジャースの寄付した公共施設があるなど、独自の歴史と町並みを誇っている。

ニュー・ベッドフォードの観光案内所でフェアヘヴンのダウンタウンへの行き方を教えてもらって、とにもかくにもフェアヘヴンへ向かう。とりあえずこの町でも観光案内所に飛び込むという行き当たりばったりの旅である。
フェアヘヴンの観光案内所で訪問の目的を伝えると、隣にあるミリセント図書館や万次郎トレイルと呼ばれるジョン・万次郎ゆかりの地をまわるルートを教えてくれた。それなりに日本人も訪れているのか対応には慣れた感じだったが、ただジョン・万次郎ゆかりのホイットフィールド船長が住んでいた家が今では人の手に渡り普通の民家として人が住んでいることから、あまりおおっぴらに観光客を呼び込める雰囲気ではなかく、いまいち歯切れが悪い印象だった。
そんなことを承知してか、むしろ今の天皇・皇后両陛下が皇太子時代に訪れたと言うことが観光協会としてのアッピール・ポイントらしくて、係りのおじさんは当時の新聞記事を持ち出して当時の様子を語るのだった。曰わく、前日からシークレット・サービスが入り込んで中心部をシールドしてしまい、当日は図書館の向かいのタウン・ホールの上に射撃手が陣取って警戒した。ほら、向かいの建物だよ。それはそれは大騒ぎだったと。
ミリセント図書館には日米交流の証として日本から贈られた品々や訪問者の記帳簿があるらしいが、時間の都合で省く。結局、ジョン・万次郎が住んだというホイットフィールド船長の家に絞って訪れることにする。
[ボストン在住のポッキー君のページに詳しい解説があります。]

Whitfield houses on Cherry Street. In the rear house, Manjiro is said to have spent his first night in Fairhaven. The front yellow one was later purchased by Whitfield. Both private owned properties today, and no transpassing and disturbing the neighbour.

ダウンタウンから北側に少し走りルート6を跨いで少し行って住宅地に入り込んだところに、目指す家があった。写真の手前の黄色い家とその隣の茶色の家がホイットフィールド船長の家である。その奥の方の家で、ジョン・万次郎はフェアヘヴン最初の夜を過ごしたと言われている。当時は1階建てで、後に1階部分を持ち上げてその下に階を継ぎ足すという風に改築されたそうで、厳密に言えば奥の家の2階の部屋でジョン・万次郎は寝たことになる。
手前の黄色い家は、後に船長が買い足した家だそうだ。

両方とも個人のお宅なので写真もこの程度に留めておく。

Just a block down from Whitfield houses, you will meet the water (exactly say, this is not a sea but the very mouth of the Acushnet river). This location shows how Capitan Whitfield loved the sea. Manjiro must have seen the same water here you see.

ジョン・万次郎が住んでいた家から1ブロックも歩くと、水辺に突き当たった。海に生きた捕鯨船の船長らしい。
ジョン・万次郎も同じ風景を見たことだろう。そして、遙か故郷・土佐清水の海を思い浮かべたのか、それとも鯨捕りの漁師として身を立てることを誓ったのか。想像が膨らむ。
船長の家は遠慮がちに見ただけだったが、それよりも、彼が船乗り達に囲まれて、海が見える場所に住んでいたということがわかったことの方が収穫だった。

フェアヘヴンはこれだけにして、今日の宿泊予定地のメーン州のフリー・ポートまでまたしばらく車を走らせるとしよう。

[続く]


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