柿岡地磁気観測所

地球の息吹を感じ取っている場所

茨城県八郷町にある気象庁の柿岡地磁気観測所を訪れる機会を得た。
地球が大きな磁石であることはよく知られているが、柿岡ではその地磁気や、地磁気の強さを正確に求めるための空気中の帯電を観測している。柿岡の地磁気観測所は世界で4箇所設置されている赤道環電流の強さを表す指数(Dst指数)を決定するための観測所のひとつであり、また日本で唯一の地球電磁気計測器の検定機関でもあるように、そこで得られた観測結果は地磁気観測上の標準となっている。ここでの観測結果が正しく得られないと地磁気観測全体に影響が生じる、重要な観測所である。

日本の地磁気観測は、第1回国際極地観測年にあわせて明治16年に東京・赤坂で始められた。東京市電の拡張により観測障害が生じたため、大正2年1月に現在の茨城県八郷町柿岡に移った。
大正14年に建てられた本館。
木々の間に見える白い建物が、実際に観測を行なっている所である(写真)。人間活動の影響を避けるために、常に観測員、研究者、事務員ら誰かしら人間が居る本館周辺と観測棟の間には、緩衝帯となる空き地が設けられている。案内してくださった事務職員の方は、この空き地の草刈りが思いのほか大変だということをこぼしていたが‥‥。

磁気にかかわるものをできるだけ遠ざけようとすると、いろいろ苦労もするようである。例えば、見学者が団体でやってくるような場合は、大型バスの駐車場の手配にも気を配るという。これは単に駐車スペースがないというだけでなく、大型バスはそれ自体が巨大な鉄の塊であり自然と磁気を帯びているため、敷地の近くに停めているだけで観測に影響を与えるそうである。
緩衝帯が設けてあったので遠くから眺めるだけかと思っていたら、幸いにも観測棟の近くまで案内していただけた。さすがに、観測棟の周辺には柵が廻らされ、立入禁止になっている(写真)。
観測員や研究者が入る場合でも、鉄製品は磁気を帯びて地磁気の観測に影響を及ぼすので持ち込みは厳禁である。これは徹底していて、例えば観測用にパソコンを持ち込む場合でも、一度分解して、鉄で出来ている部品は新たに部品を自作してアルミやプラスチックに置き換えるそうである(ハードディスクはどうするのだろう?)。ボタンやヘアピンにも気を遣うとのこと。「女性はブラジャーに入っているワイヤーがいけないというので、外してから入るそうです」とは案内してくれた男性職員の言葉だが、さて、これは本当かウソか?!!!彼は「本当かどうか、よくは知りませんが‥‥」と言葉を濁していたが、外来者向けの常套句ではあるにしても、厳しく観測環境を整えていることは確かだろう。

観測棟も、鉄を用いず、トタンや木材で出来ていて、見た目には安っぽく見えるが、これも観測上の必要からである。また、精密な観測には一定温度に保たれた環境が必要だが、そのための空調施設はこの敷地外に設置されていて、冷気または暖気をパイプで送り込むようになっている。

左の4棟は地磁気の3成分(水平分力、偏角、伏角)を観測し、右奥の少し大きめの建物で地磁気の大きさを観測しているそうである。建物と建物の間隔も、互いに干渉しあって観測結果を歪めてしまわないよう、計算されているとのことである。

大正時代の観測設備

地磁気観測が柿岡で始まったのは大正2年、関東大震災を経て本館など現在も残るような建物群が整えられたのが大正14年だと言われている。本館のような瀟洒な洋館とは別に、観測棟として建てられた建物にも当時の「モダーンな」建築意匠や、観測のための創意工夫が凝らされている。特に、より正確な観測をするために配慮された建物は、科学史、観測史の貴重な物証として保存されてもいい。
地磁気は電力としては非常に微小であるため、観測装置も精密にならざるを得ない。観測装置が季節や昼夜による温度差によってゆがみを生じさせないように、観測室内の温度を一定に保っておく必要がある。いまでこそ冷暖房は簡単に得られるが、観測を始めた大正時代には難問であった。そこで、写真のように、覆い土をして観測棟の半分を地中に埋めることにより、観測室内の温度を一定に保とうと工夫を凝らした。

この建物は、現在では観測には用いられていない。

地磁気は地球を取り巻いて電磁場を作っているが、この他に地球を取り巻いているものに大気がある。実は空気自体も電気を帯びていて、これが地磁気に影響を与える。正確に地磁気(地殻の帯びている磁気)を観測するためには、空気の帯電量を計測し、その影響を差し引いてやる必要がある。

写真は、空気自体の持っている電気量を観測する建物である。建物の脇に細長い管が飛び出ていて(写真矢印)そこから水がぴゅーっと流れ出ている。原理としては、空気の帯電による水の電離具合を観測することで、空気の帯電量を計測するというものである。

新しい観測棟が建てられ現在は主にそちらで観測が行なわれているが、観測の継続性や、いざというときのバックアップのために、この建物での観測も引き続き行なわれている。

この建物も、入り口上部にアーチが用いられていて、その曲線が、四角い箱の観測棟にアクセントを与えている。写真ではわからないが、例えば銅でできた金具なんかも1枚板を打ち出して作っていて、今日新しく作ろうとするとかえって高価なものになってしまうという。大正、昭和の初めの頃の仕事が残っているのである。


柿岡地磁気観測所と常磐線の交流電化

これまで見てきたように、地磁気の観測にあたっては、磁気を帯びているものや磁気を発生させる電気関係の器具をできるだけ遠ざけて、人間活動の影響を避ける必要がある。現代の文明は鉄と電気によって成り立っていると言ってもよいから、この両者を遠ざけるには様々な苦労が要るし、時には日常生活に制限を加える必要も出てくる。その制限の最たるものが、付近を通るJR常磐線の電化方式に関する規制である。常磐線で取手より遠くへ行くのに電車の本数が少なくて、通勤通学に不便を感じたり、取手で車内の電気が一瞬消える体験をしている人は、正確な地磁気観測のために協力していることになる。常磐線は何となく不便だなと思っていても、それが地磁気観測所のための規制によるものだと知る人はそう多くはないだろう。

この規制は法令できちんと決まっている。
電気設備に関する技術基準を定める省令(電気事業法に基づく)
第六節 電気的,磁気的障害の防止
[地球磁気観測所等に対する障害の防止]
第43条
直流の電線路,電車線路及び帰線は,地球磁気観測所又は地球電気観測所に対して観測上の障害を及ぼさないように施設しなければならない。
電線に電気を流すと常に磁気が発生する。磁気は「右ねじの法則」にしたがって発生するために、直流だと常に一定方向の磁場を作り出す。これが地磁気観測にとっては障害となる。そのために柿岡の地磁気観測所を中心に半径30キロメートル以内では、直流電化を採用することができないのである。電化方式にはもうひとつ交流によるものがあって、これだと周期的に電気の極が入れ替わるので磁場が互いにうち消され、地磁気観測への影響が少ない。

そこで、常磐線の取手以北は交流方式によって電化され、取手以南・東京国電区間の直流とは異なることになった。常磐線は、取手以北は電車の本数が大幅に減るが、これにはこうした電化方式の違いで両方式に対応した電車でないと直通できないと言う事情がある。取手は起点の上野から約40キロメートルに位置するが、沿線の都市化、東京への通勤圏化が進み、直通できる電車の増発が求められている。

日本の鉄道の電化は、都市近郊鉄道から始まり、モーターの構造が簡単で実用化しやすいことから直流が先行した。省電、国電という言葉があるように、東京周辺はいち早く直流で電化された。一方で、一部の峠区間をのぞいて、全国の長距離・都市間輸送を担う国鉄の路線は蒸気機関車が動力を担った。余談だが、都市近郊や私鉄の「電車」に対比して、国鉄・JRのことを「汽車」という習慣は、ここから来ている。大正時代から昭和のはじめにかけて、国鉄が「電車」になるとは人々の考えになかったと言ってよい。
戦後、大量輸送(機関車の大容量化)、スピードアップ、車両運用の効率化(電車だと自ら動力源を持つのでフレキシブルな編成が可能)、保守の簡素化などの「近代化」として、長距離鉄道幹線も電化されることになった。その際様々な理由から、関東上信越、東海道、山陽道は従来の電化方式である直流の延伸が図られ、東北、北陸、九州では新たに交流が採用された。異なる電化方式どうしが接する場所にはデッド・セクション(死電区間)と呼ばれる切り替え区間が設けられ、両方式に対応した電気機関車や電車でないと、直流区間と交流区間を跨いで行き来することが出来ない。デッド・セクションを挟むと、交直両用車両の購入費用がかさんだり、運用が制限されるので、非効率である。

関東の直流圏と東北の交流圏との境目は、栃木県の黒磯市(東北本線)、同小山市(水戸線)、茨城県の取手市(常磐線)にある。このうち、柿岡地磁気観測所の規制を受けない東北本線は、上野から約160キロメートルの黒磯にデッド・セクションが設けられ、直流電車が直通して中距離輸送を担っている。他の区間でも、東京圏の中距離電車は、上野−前橋111.2キロメートル、東京−沼津126.2キロメートルなど、100キロメートルを越えて直流電車が活躍している。ところが、常磐線は観測所に関する規制によって約40キロメートルの地点にデッド・セクションを抱えて、輸送のネックになっていることは、前に述べたとおりである。中距離電車のカバーしている範囲を考えると、本来は勝田あたりにデッド・セクションがあってもおかしくない(表1)。地図を見ると、東北の交流圏が、茨城県方面で大きく関東の直流圏に食い込んでいる様子がわかる。

表1:北関東のデッドセクションの上野からの距離比較
東北本線 上野−黒磯 159.7km
東北本線 上野−小山 77.0km (水戸線:小山−小田林)
常磐線上野−取手39.6km
常磐線上野−勝田123.3km(比較参考)
高崎線上野−前橋111.2km(比較参考)(新前橋−前橋は両毛線)
東海道本線東京−沼津126.2km(比較参考)

思えば、地磁気観測所と電車鉄道との関わり合いは因縁めいたものがある。 地磁気観測所は明治16年に東京・赤坂に開設されたが、東京市電の拡張により観測障害が生じたため 大正2年1月に現在の茨城県八郷町柿岡に移った。その当時は常磐線は非電化(蒸気)であり問題は生じないと考えられてたのだが、結局同じ問題を今日も引きずっていることになる。
常磐線について詳しく見てみたが、この柿岡への配慮はJR(国鉄)の電化だけでなく、取手と下館とを結ぶ関東鉄道がいまだ非電化であることや、秋葉原とつくばとを結ぶ常磐新線の電化方式をどうするかなど、幅広く影響を及ぼしている。

[おまけ:八郷町は関東の北海道?!]

(参考リンク)
博物紀行−宮城県仙台市作並−交流電化発祥の地
気象庁 柿岡地磁気観測所

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