交流電化発祥の地

山形市と仙台市は実は互いに接している。県庁所在地市どうしが接しているのは日本でもここしかないが、それも互いに合併を繰り返してきた結果である。
山形駅と仙台駅を結ぶJR仙山線は、地方中核都市と県庁所在地を結ぶというインターシティの性格を持ちながら、おかげで2つの市しか走らない路線になってしまった。 写真は、仙台と山形を結ぶ快速「仙山」。途中にある観光地「山寺」や温泉地「作並」への足でもある。



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作並駅は作並温泉への玄関口であり、名産のこけしが出迎えてくれる。
そのかたわらに、交流電化発祥の碑が立つ。昭和29年から31年にかけて 仙山線の北仙台−作並間で交流電化の実験が行なわれたことを記念するものである。
日本の鉄道の電化は、直流から始まった。直流のモーターは構造が簡単で技術として確立しやすかった。一方で、交流は、商用電力を利用できる、電圧を変えるのが簡単で高圧送電に向き送電中の電力ロス(ジュール熱の発生)を押さえることができる等の利点があり、地上の設備への投資を減らすことができるので、新たな電化方式として着目されていた。しかし、交流で大馬力のモーターをまわすのは技術的に困難であることや、高圧電力に対応した各種施設の実験が必要となり、交流電化の実地実験がここに行なわれた。

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交流の実用化実験に用いられた機関車がまだ残されているというので、仙山線で仙台まで出た勢いで利府駅へと向かった。

利府駅には交流電気機関車の1号機が各形式置かれている。その中に、交流電化実験の頃の機関車ED9121(実験当時はED4521。後に形式変更)もあった。けれども形式標はとられ、車体に残る製造会社銘「日立」と、車体の特徴から読み取るしかない。

利府駅から少し北へ行った森郷児童公園には、同じく交流電化草創期の頃のED9111(実験当時はED4511。後に形式変更)が静態保存されている。保存状態は決して良いとは言えないが、中に入って計器類や、整流器などを見ることができる。
交流電気を用いてモーターをまわすことは構造的に複雑になるため、日本の交流電車・機関車は交流を一度直流に整流してから、その変換した直流を使ってモーターを起動させている。この方法を実用化することも、仙山線での交流電化実験のねらいのひとつであった。今日、半導体技術がゲルマニウムからシリコンへと進歩したことによって、より小さく効率のよい整流器を作ることができるようになった。交流電化実験の結果、交流モーターではなく、直流への変換方式が採用されたことは、正解だったといえる。ここで確立された技術が、交流電気を利用した高速鉄道・新幹線へとつながっていくのである。
ちなみに、この公園はかつての東北本線の跡地だと思われる。



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