XB-70 超音速戦略爆撃機(試作機)ヴァルキリー | |
私がライト・パターソン空軍基地アメリカ空軍博物館を訪れたとき、ヴァルキリーは通常の展示ハンガー(格納庫)ではなく、すこし離れたところにある開発研究機を集めたハンガー(R&Dハンガー)に移されていた。ひととおり見終わってヴァルキリーを見つけることのできなかった私は、インフォメーション・デスクの人に尋ねたのだが、「ヴァルキリー」の名前を口にした途端に「にやり‥‥」と笑った係の人の表情が印象に残っている。確かに、悲劇のヒロインとして航空機ファンの間では人気があり、ここにしかない機体だけれども、やっぱり多いんですかね。ヴァルキリーが目当ての人。 R&Dハンガーに展示されている機体はジェットエンジンに翼をちょこんと付けただけのような矮小なものが多いので直接比較の対象にはならないかもしれないが、ヴァルキリーの絶対的な大きさは見て取れるであろう。 |
1960年代に登場した超音速大型爆撃機B-70 ヴァルキリーは、試作機(XB-70)が2機しか製造されなかった上に、そのうちの1機が空中接触事故を起こして大破・墜落してしまうと言う悲劇に彩られている。
1950年代末、大陸間弾道ミサイルと地対空ミサイルの開発が進むにつれて、戦略思想上、戦略爆撃機の優位性は急速に失われていった。
これが1950年代の終わりから1960年代のはじめにかけての核戦略をめぐる軍事的状況の変化であり、ちょうどB-36がその任を退き、B-52が戦略爆撃機として登場した頃に当たった。アメリカ空軍は、戦略爆撃機の優位性が薄れる中で、次世代の戦略爆撃機を開発しなければならないサイクルを迎えようとしていた。 戦略爆撃機がその戦略的な意味を取り戻すことができるとしたら、いきおいその開発の方向性は地対空ミサイルの迎撃を許さない、超音速(マッハ3)、高々度を飛行できる爆撃機ということになる。B-52の後継の戦略爆撃機には厳しい要求が突きつけられた。 次世代の戦略爆撃機B-70の開発は1955年頃から、WS-110A(WSはWeapon System 兵器システムの略)の一環として進められた。WS-110Aには当初、戦略爆撃機B-70の開発だけでなく、同行し護衛の任に当たる戦闘機F-108の開発も含まれていた。
次世代戦略爆撃機構想WS-110Aは、そもそも戦略爆撃の意義が問われていた上に、多額の開発費(そして、製造費、運用コストもかなりの額になるであろうことは容易に想像が付く)を要することから、1961年の末までには途中で挫折してしまうことになる。
試作機XB-70A(試作1号機)は1964年9月21日に初飛行に成功し、翌1965年10月14日には速度マッハ3での飛行を成し遂げた。XB-70B(試作2号機)も1965年7月17日に初飛行に成功している。純粋に技術上は、マッハ3の超長距離爆撃機を作ることが可能であることが証明されたのである。
ヴァルキリーは、戦略爆撃機がその役割を終えるときに花開いた徒花なのである。 |
WS-110A計画で構想されていた戦略爆撃機B-70と護衛戦闘機F-108用に開発されたGEのYJ-93ジェットエンジン。結局F-108は製造されなかったため、B-70の試作機であるXB-70、2機でのみ用いられた。
| |
ヴァルキリーの特徴のひとつが、翼の先の部分が下方に折れ曲がる可変翼である。これは音速を突破したときにできる衝撃波を機体の下に囲ってやり、コンプレッション・リフトと呼ばれる機体浮揚効果を発生させるための工夫である。 | |
[ライト・パターソン空軍基地アメリカ空軍博物館 目次に戻る] (C) TTS 2003, All rights reserved |