年 | 事項 | 備考 | 政局・出来事 |
1776 | アメリカ独立 | ||
18世紀後半 | 私設のターンパイク(有料道路)が各地にできる | ||
1787 | 合衆国憲法成立(1788年施行) | 連邦政府(議会)の権限として「郵便局および郵便道路の建設」を規定する。 | |
1796 | ザーンズ・トレース(郵便道路)に対して連邦議会が土地の無償払い下げを承認 | 道路に対する最初の連邦補助 | |
1813 | カンバーランド道路の最初の区間が開通 | チェサピーク湾岸とオハイオ川の水運とを結び内陸へのゲートウェイとなる。今日カンバーランド道路は「国家の道」 The National Road と呼ばれて、旧街道巡りの人々に親しまれている。 写真:カンバーランド道路に設置されたマイルポスト(スミソニアン博物館:ワシントンDC所蔵) |
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1827 | 最初の営業用鉄道会社が認可される | ||
1869 | 鉄道輸送が全盛期を迎える。 | 大陸横断鉄道が開通 | |
1877 | アメリカで最初のアスファルト舗装道路(ワシントンDC) | ||
1893 | 連邦農務省に道路調査室 Office of Road Inquiry が設置される。 | 連邦として初めて道路を管理する組織ができる。以後1939年にニューディール政策下で連邦事業省に公共道路庁が設立されるまで、連邦の道路行政は農務省の下で行なわれることになる。 | |
1895 | アメリカで最初のガソリン自動車発売 | ||
1908 | フォードがT型モデルを発売 | 自動車が普及する | |
1913 | リンカーン・ハイウェイ協会が創設 | ||
1914 | AASHO(American Association of State Highway Officials=全米・州ハイウェイ担当官協会)が創設 | 第一次世界大戦 | |
1916 | 連邦道路補助法Federal Road Aid Actが成立 | 州と州との間で連邦補助道路どおしの連絡を義務付けていないなど、全国的な道路網整備という視点が欠けていた。そのため補助金のばらまきに終わったと批判された。その一方で、この先5ヶ年間の補助金支出を決定し、長期的な道路整備計画のはしりとなった。 | |
1918 | ウイスコンシン州で、数字による道路体系が導入される | ||
1919 | リンカーン・ハイウェイをたどる第1次大陸横断自動車部隊派遣 | 自動車部隊を編成して作戦行動を展開することができるかどうか陸軍が調査のために派遣した部隊。結果として全国的な道路ネットワークへ建設促進のキャンペーンを果たした。後にインターステイト・ハイウェイ網を作り上げたアイゼウハワー大統領が中佐(Lieutenant Colonel)として参加している。
ワシントンDCのホワイトハウス前には、この時の自動車部隊が出発した起点を記念して0マイルストーンが置かれている。 | |
1920 | バンクヘッド・ハイウェイをたどる第2次大陸横断自動車部隊派遣 | ワシントンDCのホワイトハウス前には、この時の自動車部隊が出発した起点を記念して0マイルストーンが置かれている。 | |
1921 | 連邦道路補助法Federal Road Aid Actが成立 | それぞれの州の道路の総延長の7%までを連邦補助道路として認めるとともに、連邦補助道路の7分の3(各州の道路総延長の3%)を州と州とを結ぶ道路に振り分けさらにここに補助金の60%までを集中させることが出来るようにした。各州の道路整備を漸増させていけばやがては全国の道路がつながるという考え方で、全国的な道路網という観点に乏しい。実際西部の広大な州では7%の連邦補助道路では州と端から端まで道路を整備することができなかった。 | |
1922 | 陸軍がパーシング・マップを作る | 戦時下における最重要道路を示した地図 | |
1923 | ブロンクス・リバー・パークウェイが供用開始(ニューヨーク市とウエストチェスター郡との通勤路線) | パークウェイのさきがけ |
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1925 | 州をまたぐハイウェイに関する合同委員会報告1925年(Report of Joint Board on Interstate Highways October 30, 1925) | それまで街道(トレイル)毎に固有名をつけていたのに替わり、数字によってルートを示す全国的な体系が整えられた。
現在のUS Highway網に相当する。 [路線一覧] |
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1926 | US Route 66が指定される | ||
1933 | ドイツがアウトバーン構想に着手 | ||
1934 | ヘイゲン・カートライト法が成立 | 道路利用者が支払った州への税金を道路整備のための目的税化する目的で、目的税化しない州に対しては連邦からの道路整備のための補助金を取りやめるとした。 | |
1938 | 連邦ハイウェイ補助法が成立 | 道路景観の改修(パークウェイ化)やレストエリアも道路事業に含める。これによってレストエリアの整備が進む。 | |
1939 | 連邦事業省に公共道路庁 Public Road Administration が設置される。 | 不況克服のニューディール政策下で、道路整備が有効需要創出のための公共事業として認識される。 | |
1940 | ペンシルヴァニア・ターンパイクが開通 | 州の道路公社方式による有料道路のさきがけ | |
1941 | 12月8日 太平洋戦争始まる |
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1942 | アラスカ・ハイウェイが建設、完成 | 日本軍の真珠湾攻撃により制海権の維持が危ぶまれたアメリカは、日本軍がアラスカに侵攻してきたときに備えて、カナダ領内を通りアメリカ本土とアラスカを結ぶ自動車道の建設を行なう。3月にカナダとの調整がつき、年内の11月には総延長2200キロメートルの道路が完成した。 写真はBroderbund社の素材集より |
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戦争中 | 戦時動員のため過積載トラックが我が物顔で走る一方、道路予算は削減されて1944年と1945年には正規の連邦補助金額は0となった。道路が疲弊する。 | ||
1944 | 連邦ハイウェイ補助法が成立 | インターステイト・ハイウェイの建設を承認する。現在のInterstate Highway網に相当し、以後AASHO、各州、陸軍などと計画路線について調整が進められる。なおこの法律では具体的な予算措置は盛り込まれておらず、このままでは画餅に帰したままであった。 | |
1947 | メイン・ターンパイクが開通 | ||
1949 | 7月1日に公共事業省に公共道路庁 Bureau of Public Roads が設置されるが、8月1日に商務省下に移される。 | ||
1952 | ニュージャージー・ターンパイクの最初の区間が開通 | ||
1955 | 既存の有料道路で、インターステイト・ハイウェイの予定路線上にあって、その規格に合致し、代替の無料道路がある場合には、インターステイト・ハイウェイ網に組込むとが出来るとした。道路の有料化は望ましくないが道路整備を迅速に進めるためには有効な手法であることを認めた、公共道路局の報告書「有料道路の歩みと将来性および有料道路と連邦補助との関係」を受けての法制化。 | ||
合同委員会による幹線道路整備計画(ニューヨーク都市圏) | 外郭環状道路やマンハッタンを横断する幹線道路網の整備を計画する。このうち外郭環状道路については概ね完成したが、マンハッタン島内(都心部)の計画は立ち消えに。 | ||
1956 | 連邦補助ハイウェイ法(Federal-Aid Highway Act of 1956)が成立 | 道路利用者が支払った連邦への税金を全額道路整備に振り向ける。インターステイト・ハイウェイ網建設の財源的な裏付けができる。 | アイゼンハワー大統領(Eisenhower) ワトキンス・レポート(日本) |
1967 | 交通省の下に連邦道路局 Federal Highway administrationが設置される。 | ||
1973 | ニューヨーク市ウエストサイド・ハイウェイの高架部分が崩壊する | ||
1985 | US 66が連邦補助道路からはずされる。 | 並行するインターステイト・ハイウェイの整備が進んだため | |
1990 | インターステイト・ハイウェイ網を「アイゼンハワー・インターステイト・システム」と命名する法案が成立 |
参考文献
アメリカ連邦交通省道路局編、別所正彦、河合恭平訳『アメリカ道路史』原書房、1981年
"Automotive Industries", December 1, 1956
Mark H. Rose, "Interstate: Express Highway Politics, 1939-1989", The University of Tennessee Press: Knoxville, 1990(Revised Ed)
Jamie Jensen Eds., "Road Trip USA", Avalon Travel Publishing, 1999
William Kaszynski, "The American Highway", McFarland, 2000
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