道路法施行令第九条の1「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」について、これは第七条「府県庁、師団司令部、鎮守府又ハ市役所所在地」の各市町村であって、自動的に全ての市町村に置くという
意味ではないという、法令解釈(内務省嘱託)が示されている史料を見つけました。この解釈次第によっては道路元標の説明の根本が変わってくることが予想されます。以下の説明文についても見直しを
検討しています。利用の際にはこのことにご留意ください。(2006/09/18付記)
道路元標とは?
旧街道や昔からの宿場町を散策していると、「道路元標」と書いてある標石が見つかることがある。「○○市[町村]道路元標」と市町村名が入るのが普通だが、単に「道路元標」となっているものもある。文字通りその市町村における道路の基準点を示す標石である。
【右写真=糸魚川町道路元標(新潟県糸魚川市)】
道路元標が設置されたのは戦前のことで、市町村単位での道路の基点として大正8年の道路法施行令に「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」と定められた。平成16年11月1日現在で全国には2,942の市町村があるそうだが、当時は12,315の市町村があり(大正11年)、つまり全国で1万2千余りの道路元標が建てられた。
大正8年に道路行政の基本法としての道路法(大正道路法)が制定され、翌大正9年4月1日から施行されるが、これによって戦前日本の道路体系が本格的に整備され始めることになる。道路元標はまさに戦前の道路網整備のための基点として全国津々浦々に打ち込まれた。日本列島を天の川にたとえるならば、1万2千の星が今まさに満天にばらまかれた状態であり、空の星と星の間に線を引っ張って一個の星座を作り出すように、道路元標と道路元標の間を結びながら日本という国土に道路を敷設しようとする作業が始まったのである。それはやがて、国道2000里、府県道2万1800里(国道は大正9年、府県道は郡道処分後の大正15年、いずれの数値も当時の新聞報道より)の道路網となって日本全国をカバーすることになる。
道路元標は昭和27年に制定された現行の道路法でも道路の付属物として定められているが、具体的な設置方法や維持管理について定めた施行令(政令)や省令はなく、道路の拡張や市町村の合併などがあっても新設や更新されることもなく、多くは忘れられた存在になってしまっている。
時々道路元標の「復元」「新設」「創作」がなされることはあっても、個々の自治体レベルでの道路のシンボルという意味合いにとどまっていて、戦前のように道路網整備の一環としての事業ではない。むしろ、風雪に耐えて残った町角の道路元標を、大正時代の道路プロジェクトの記念碑として文化財として見直すことが多くなっているようである。
※初稿執筆時には平成14年4月現在の市町村数3,218を用いていたが、その後「平成の大合併」が進行し、平成16年11月1日にはついに3,000を割り込み、2,942となった。(2004年11月3日改訂)
実際どのように使われたの?
例えば○○市から××町まで国道でも県道でもいいが道路を通すとして、この場合の○○市、××町というのは具体的にはどこになるだろうか。自治体の境界なのか、役場前までなのか、それともその町にある有名な景勝地までなのか。そんな実務上の疑問に答えるのが道路元標であった。つまり、○○市から××町までの県道といえば、普通は○○市道路元標から××町道路元標までということになる。
これは、道路法施行令「第七条 府県庁、師団司令部、鎮守府又ハ市役所ノ所在地ヲ国道又ハ府県道ノ路線ノ起点終点ト為ストキハ 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ニ依ルヘシ」と規定されていて、実際には、市町村を道路の起終点とする際に広く道路元標を基点として利用していたようである。
例えば茨城県では、新道路法施行後、昭和29年と昭和34年に従来の県道をいったん廃止して新しく県道を認定し直す形で新道路法下での県道網を編成しているが、その県道路線廃止に関する告示(昭和29年9月1日告示第863号、昭和34年10月14日告示第902号)を見ると県道の起終点にあたる市町村にいちいち(元標)と記されている。
おもしろいことに、大正(旧)道路法のもとでの府県道の路線を認定する告示を見ていても元標という記載はなく、これは府県道の起終点として単に市町村を指定した場合道路元標の位置を指すということが自明であったからである。法体系が変わってしまって道路元標についての規定がなくなってしまうと、逆に起終点の位置を特定するために「元標」を明示しないといけない事態になったのである。
山梨県道の路線(現行のもの)には、起終点にいまだに「道路元標」が用いられているものがある。昭和30年の山梨県道の認定の際の告示には、道路元標という制度は既に廃止されたとして「旧」のものになっているが、厳密な位置を決めるのに道路元標の位置を基準にしている。
強調のためにボールド(太字)したが、カッコ内記載も含めて告示に記されているとおりである。
○県道の路線認定 昭和三十年四月十一日
山梨県告示第百二十八号 道路法(昭和二十七年法律第百八十号)第七条の規定に基き、県道の路線を次のように認定する。 その関係図面は、当庁及び当該道路を管轄する土木出張所において一般の縦覧に供する。
整理 番号
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路線名
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起点
終点
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重要な経過地
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一
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/甲府/市川大門/線
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甲府市(柳町、一級国道二十号線分岐点)
西八代郡市川大門町(旧市川大門町元標)
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中巨摩郡田富村
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二
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/市川大門/鰍沢/線
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西八代郡市川大門町(旧市川大門町元標)
南巨摩郡鰍沢町(二級国道清水上田線合流点)
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南巨摩郡大同村
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三
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/甲府/敷島/韮崎/線
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甲府市(錦町、一級国道二十号線分岐点)
韮崎市(旧韮崎町元標)
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中巨摩郡敷島町
北巨摩郡双葉町(旧塩崎村)
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四
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/甲府/昇仙峡/線
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甲府市(千塚町、県道甲府敷島韮崎線分岐点)
甲府市御岳町(旧宮本村元標)
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中巨摩郡敷島町(旧吉沢村)
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五
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/塩山/市川大門/線
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塩山市(県道、甲府青梅線分岐点)
西八代郡市川大門町(旧市川大門町元標)
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東八代郡黒駒村
同 錦生村
同 八代村
同 中道町
中巨摩郡田富村
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六
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/市川大門/下部/身延/線
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西八代郡市川大門町(旧市川大門町元標)
南巨摩郡身延町(大野、二級国道、清水上田線合流点)
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西八代郡大同村
西 下部町
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七
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/身延/本栖/線
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南巨摩郡身延町(旧身延町元標)
西八代郡上九一色村(本栖、二級国道吉原、大月線合流点)
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南巨摩郡中富町
西八代郡上部町
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八
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富士川/富沢/線
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南巨摩郡富沢町(静岡県界)
同 同 (一級国道五十二号線合流点)
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この告示は現行のものである。
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国道や府県道の起終点になる以外にも、道路網の基点として、市町村相互間の距離計測の基準などにも用いられたのではないかと思うが、用例が見つかってなくて定かなことは言えない。
ただ明治6年に街道沿いに設けられた里程元標のなかには、測量の際の基準点に用いられたものもあり、群馬県と長野県の間の碓氷峠を昭和8年に改修した際の記念碑には、峠の勾配を求める際に「軽井沢里程標」と「坂本標」を基準に距離や標高を計測した旨が記されている。これが明治6年の里程標のことを指すと思われるが、昭和8年というと既に道路元標が整えられていたはずで、詳しく調べる必要がある。
大正道路プロジェクトに独特の制度
道路元標以前には、明治6年太政官達第四百十三号によって里程元標/標が設置されていた。これは東京日本橋と京都三条橋の里程元標を日本の道路の基点として定め、そこから各府県庁所在地までの距離を計測し、府県内にあっては府県庁所在地に設置された里程元標を起点としてそこから各里程標までの距離を計測したもので、東京日本橋、京都三条橋両元標→府県里程元標→市町村里程標という中央集権的で階層的な構造を取っていた。里程元標は府県庁所在地のものだけで、他の地点のものは単に里程標であったことに注目したい。
また、既にある街道を前提としてその沿線に距離標を設置していくという方法で、距離を計算していく街道の順序が定められてもいた。各府県の里程元標の中には「○○街道の起点として定められた」という説明がされていることがあるが、この場合の街道とは江戸時代のものを引き継いで明治時代にも使われていた道路のことを指す。つまり道路網の実態としては江戸時代の街道筋と替わるところはないが、一里塚の替わりに里程元標/標を設置して近代的な測量方法で距離を把握し直したというわけである。
里程元標/標を設置したものの道路網は旧来以前のままなので、道路を付け替えたり新道を開削した場合には里程が実際とは食い違ってくるという不具合が生じることになる。里程元標/標設置のわずか1年半後の明治8年の太政官達第百九十九号「府県管内元標及里程標柱書式改定」では、早くも、「各地方二於テ時々道路ノ変換或ハ管轄庁ノ転移分合等二依テ里程ノ延縮モ有之随テ全道ノ標記ヲ訂正スル等ノ煩擾ヲ生シ侯二付当分東西両京距離ノ里程記註ヲ削リ」様式を変更するとの通達が出されている。
これに対して、道路元標には距離は刻まれていない。つまり近代的な道路網が整備されるに従って里程元標/標では用を成さなくなり、新たに道路網の基点となる標石を設置する必要ができた。それが道路元標だと考えることが出来る。
道路元標では国−府県−市−町村という階層的な区分は見られず、その名の通り各市町村に置かれた道路元標のひとつひとつが「元標」として絶対的な座標位置を与えられていた。また、大正道路法で全ての国道の起点とされた東京日本橋に建てられた道路元標は、国家的な道路の基点であるにもかかわらず所在地を示す東京市道路元標であったし、各府県庁所在地の道路元標もそれぞれの市町道路元標であった(ただし、実際の道路の路線はかなり中央集権的に決められたが)。
道路元標は、江戸時代の街道網から引き継いだ明治時代の道路網から脱皮し、近代道路網の整備を押し進めた大正道路プロジェクトに独特の制度なのである。
道路元標についての法令
道路元標についての詳細な規定は道路法施行令(大正8年11月4日)にある。
第七条 | | 府県庁、師団司令部、鎮守府又ハ市役所ノ所在地ヲ国道又ハ府県道ノ路線ノ起点終点ト為ストキハ 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ニ依ルヘシ
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第八条 | 1 | 東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス |
| 2 | 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ハ前項ニ規定スルモノヲ除クノ外府県知事之ヲ定ム |
第九条 | 1 | 道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク |
| 2 | 道路元標ノ様式ハ内務大臣之ヲ定ム |
| 3 | 道路元標ハ管理者之ヲ建設スヘシ等級ヲ異ニスル道路ニ係ルモノナルトキハ上級道路ノ管理者之ヲ建設スヘシ |
また、標石の様式については大正11年8月18日内務省令第20号「道路元標二関スル件」として定められている。
第一条 | 道路元標二ハ石材其ノ他ノ耐久性材料ヲ使用スヘシ |
第ニ条 | 道路元標ハ別記様式二依ルヘシ |
第三条 | 道路元標ハ其ノ位置ヲ表示スル為道路に面シ最近距離ニ於テ路端ニ之ヲ建設スヘシ |
第四条 | 特別ノ事由アル場合二限リ前二監督官庁ノ認可ヲ得テ前二条ノ規定二依ラサルコトヲ得 |
備考
一 表面ニ市町村名ヲ記載スルコト能ハサル場合ハ側面ニ之ヲ記載ルコトヲ得
二 前図ニ示ス寸法ハセンチメートルヲ単位トス
大正14年9月24日内務省令第15号で改正し、第四条の「監督官庁ノ認可ヲ得テ」という部分を削って、設置者の裁量によって様式を変更できるようにしている。 |
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道路元標その後
戦後、昭和27年に新しい道路法(現行)ができた。この新道路法でも、道路の付属物として里程元標や道路元標を含んでいてる。けれども、新道路法施行令には道路元標の設置についての規定は盛り込まれず、道路元標という制度は事実上廃止されたことになっている。
道路元標が廃止されたことを示す例として、昭和30年に山梨県が新道路法にもとづいて県道の路線を認定する際に、起点終点に「旧○○町元標」と併記している。つまり、物理的な起点や終点は旧道路法の道路元標を基準にした位置をそのまま継承するけれども、道路元標という制度自体はすでに廃止されてしまったという態度である。
新道路法の施行にともなって道路元標は設置のための法的根拠を失っただけでなく、市町村の大規模な合併によって道路元標に刻んである市町村名が古くなったり、郊外住宅地の開発やバイパスの開通によって自治体での道路網の基点としての役割を果たせなくなったりして、実際上の機能も失っていった。行政から忘れられた存在になり、道路の拡張や区画整理の際にそのまま破棄されてしまったものも多い。
一方で、昔からの集落(邑)の中心地に建てられ、旧市町村名を留めている道路元標は、歴史の生き証人とも言える。大正時代の道路プロジェクトの遺産として文化財として保護している自治体もある。とりわけ、昨今の近代化遺産の評価の動きや、旧街道や町並みを散策することを趣味とする人が増えてきたこともあって、こうした扱いが多くなってきている。
法的な根拠は失っても、道路網の中心としてモニュメンタルな標石を設置しようというのは人々のごく自然な発想らしい。東京日本橋の日本国道路元標をはじめ、栃木県道路元標や山梨県道路元標という、創作された道路元標が各地に建てられている(里程元標は県の中心を定めてそこから街道沿いに距離を計測する趣旨だったために○○県里程元標というのは存在するが、道路元標はもっと相対的なものであり道府県庁所在地においてもあくまでも所在地の市区町道路元標であった。東京の日本橋にあるのは東京市道路元標であり、日本国という大仰な名前の道路元標はない。同様に○○県道路元標というのも大正道路法施行令上は存在しない)。
様式も新しく再建される道路元標では自由になってきている。測量の際に使う錘を模した大阪市道路元標や、抽象的なオブジェクトの和歌山市道路元標のように、独自の様式で建てられるのもある。2002年9月には、八王子市道路元標を再建するにあたってそのデザインが公募された。[一般国道八王子道路元標]
大正11年8月18日内務省令第20号「道路元標二関スル件」の様式に準じた昔の形で復元されている道路元標や、かつて道路元標が建っていたことを示す石碑が建てられることもある。
根拠の法令がなくなってしまったために、戦前の道路元標が失われていく一方で、いろいろな形で道路元標が建てられてもいるというのが、現状である。この「元標の広場」では、こうした新しい道路元標も含めて扱うことにする。
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