道路元標の探し方足で稼ぐ道路元標は市町村の道路ネットワークの中心となる標石なので、市町村の中での交通の要衝、町の中心におかれている。例えば宿場町のように街道をもとに町が発展した場合、交通の要衝=町の中心になる。国道(ただし大正時代の)が通っている町では国道沿い、県道(これも大正時代のもの)が通っている町では県道沿いにある可能性が高い。辻や、丁字路、橋のたもとなども有力な候補地である。城下町や門前町の場合は、お城や寺社仏閣の門前が中心となることがある。また、多くの町では役場や豪商、名士の邸宅が町の中心地に存在していた。変わったところでは、温泉場の場合はそのなかで一番の共同浴場が町の中心的存在になることもある。道路元標はこうした場所に建てられていた。
県公報で一覧を入手町歩きのついでに道路元標を探すのも楽しいが、もっと本格的に道路元標を発見していく方法がある(こうした域まで達した道路元標探しを、仲間内では「道路元標狩り」「石狩り」と言っている)。 この告示の入手法だが、今でも行政機関の告示方法はそうだが、県が発行している公報(県報と呼ぶこともある)に掲載されて一般に告示されることになっているので、県の図書館、公文書館、行政サービスセンター(情報公開窓口)といった場所で県公報を閲覧する。実際の所蔵先は県によって異なっている。大正時代の文書なので、図書館や公文書館に所蔵して「歴史資料」扱いになっている県もあれば、「行政文書」の扱いで県庁の情報公開窓口で閲覧することが出来る場合もある(ただし多くの場合は所蔵庫に入っているので係員に相談して探してもらうことになる)。形態も、原本そのままを閲覧できるところ、複製本やマイクロフィルムでの閲覧になるところと様々である。複製本やマイクロフィルムでの閲覧になるところでも、原本を保存していれば、コピーのかすれや字が潰れているところは係員に申し出れば原本を参照させてくれるところもある。また、最近では茨城県のようにインターネットを通じて公開している県もある。 多くの道府県では、道路法施行にあわせて大正9年4月1日付けの公報(号外)で告示している。が、準備の良い県ではそれに先だって大正9年の2月や3月の間に告示してしまっているところもある。一方、遅い県では昭和になってから告示を出しているところもある。さすがに昭和の県公報まで目を通すのは難しいが、大正9年4月1日にない場合には少なくともその前後数ヶ月分の県公報を探してみると出ている可能性がある。
例規集に載っているかも都道府県では主要な条例や告示を抜き書きした例規集というものを作っている。いわばお役所の虎の巻である。例規集に、道路元標の位置を載せている都道府県も少なからずあって、府県公報で探し出せなかった場合にはおおいに役に立つ。しかも、例規集は実際の行政現場で使われている行政資料なので、道路元標の新設や場所の移転が反映されたその時点で一番新しい情報になっているという利点がある。改正履歴が載っているので、そこから府県公報をたどることも出来る。ただ例規集に記載するかしないかは都道府県によって判断が違っていて、従来のものを引き継いでそのまま載せているところもあれば、既に実務上の意味合いは失ったと判断して載せていないところもある。
最後は現地調査県公報や例規集を通じて道路元標の設置場所一覧を入手しても、まだ気は抜けない。多くの場合戦前の情報なので、市町村合併によって地名が字名や小学校・中学校名としてしか残っていなかったり、地番も区画整理によって変更になっていたりして、現在の住所に置き換える作業が必要である。それ以上に、道路元標が損壊消滅していたり、逆に保護のために移転していたりと言うことがあって、昔からの位置にそのまま残っているという保証はない。
これまでの調査成果私の知っている範囲で、道路元標の現在の状況について調査されている団体や個人を紹介します。この他に道路元標についてまとまった情報を公開されている方(媒体を問わず)がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけると幸いです。
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