道路元標こぼれ話

離島にも道路元標はあるか?

大正8年の道路法施行令には「道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク」と決められている。そこで、離島にも道路元標はあるか?という疑問が浮かんでくる。他の市町村と道路で結ばれない離島に道路元標があっても、道路網の基点としての役目を果たせないのではないかと思う。

答えから言うと、離島の町村にも道路元標はある。
東京府の告示でも、本土の市町村とは別に島嶼部の大島と八丈島について道路元標の位置を定めている。本庁で定めたと言うよりは地元に任せたようで、大島については地番表示になっているのに対して、八丈島では役場前とか派出所前とか大雑把な表記になっていて、おもしろい。もっとも、当時は大島・八丈島ともにいくつかの村に分かれていたので完全な離島とも言えず、それなりに島内での道路網があったと考えることも出来る。
私の把握している限りでもっと極端な離島の例が、兵庫県沼島村である。兵庫県は淡路島のそのまた4キロメートル沖に浮かぶ沼島はいまでこそ南淡町の一部だが、大正時代には島全体で沼島村というひとつの村であった。周囲10キロメートル、[沼島の地図]を見ると道らしきものは港の周辺にわずかにあるだけで、あとは点線で描かれている。およそ道路網という言葉とは無縁に思えるこの村(島)にも道路元標が建てられ現存している。
他にも、隠岐の五箇村、小豆島の土庄村(現土庄町)にも道路元標が残されている。
日本の道路元標とは異なるが、沖縄県石垣市には、アメリカの統治下で当時の八重山群島政府が建てた道路元標が残されている。アメリカには道路元標を建てるという習慣がないので、おそらく戦前の道路元標の記憶が残っているのだと思う。

このように、離島の町村にも道路元標は存在する。一見無駄に思えるかもしれないが、全国一律に法令を施行させる近代国家のシステムが全国の隅々まで及んでいたことを示していて、行政史の観点からもおもしろい事例になるのではないだろうか。


外国にも道路元標はあるか?

道路元標は日本(とその旧植民地)に独特の制度と言ってもいい。
道路の起点終点をモニュメントや標石をもって特定させ、あるいは街道の要衝に道標をおいて方向や距離を示すと言うことは諸外国を含めて広く行なわれている。近代的な道路網が確立すると、要衝や街道筋の宿場町といった任意の地点に標石を設けるのではなくて、マイル・ストーン、マイル・ポスト、キロ(メーター)・ポストと一定の間隔で規則正しく標石を設置し、単に起点からの距離を知るだけでなく事故や工事の際に地点を一意に特定するための座標としても利用されている。こうした里程標と、道路元標は趣旨を異にする。道路元標の特徴は、各市町村に1箇所ずつあるということと、その標石には市町村名だけで里程が記されていない点である。道路管理上、○○市道路元標と××町道路元標の間の距離は△キロメートルと把握することはあっても、道路元標そのものを見ただけでは何の役にも立たない。他の道標(「右いせ路○里、左江戸△里」という類のもの)の方が一般旅行者にとっては有益であり、道路元標は行政が打ち込んだ境界杭とか基準杭とそう変わらない。このあたりの認識が道路元標がなかなか「文化財」として保護されてこなかった理由のような気がしている。閑話休題。
このような距離のない元標について、江戸時代からの街道筋を引き継いで里程元標を設けてきた道路体系が新道の開削や道の付け替えによって実態に合わなくなってきたため、大正の道路プロジェクトとして、既存の街道を基準にするのではなく、市町村という拠点(ノード)を基準としてその間に道を渡すという思想的な転換があったのではないかと仮説を立てているが、どうであろうか。

さて、外国の事情について触れると、戦前日本が植民地支配をしていた朝鮮半島には道路元標があることがわかっている。これは朝鮮総督府の告示にも記されているし、実際韓国ソウル市には現存している。ただ「道路元標」と刻んであるものの、日本の道路元標とは違って、朝鮮半島内の主要都市への距離も刻まれていて、里程元標の趣が強い。現地のハングルによる解説では里程元標として記されていて、道路元標という概念が里程元標と同一視されている。また、日本本土とは違って、主要都市にのみ 設置された。
この朝鮮総督府の道路元標とは別に、戦後に韓国政府の独自の制度としても道路元標が建てられた。全州市の全羅北道道庁付近に「全羅北道道路元標」が立っていて「一九六四年」の陰刻がある。市ではなくて道(日本の県に相当)の道路元標であることや、ソウルやピョンヤンまでの里程が刻んであることから、これも日本の明治時代の里程元標に雰囲気が似ている。

よくアメリカの「道路元標」として紹介されるものに、首都ワシントンDCにあるゼロ・マイル・ストーンがある。大統領官邸ホワイトハウスの前に立っているので観光客の目にも触れやすく、東京・日本橋の日本国道路元標を知っている者にとっては、アメリカの「道路元標」と呼ぶにふさわしく思える。けれども、このゼロ・マイル・ストーンは里程元標という意味で日本の道路元標とは異なるものであるし、もっと言えば日本橋の日本国道路元標は確かに国道1号をはじめ道路の起点となっているが、ワシントンDCのそれは道路の起点ではない。解説を読むと、1919年と20年に大陸横断自動車部隊がこの地点から出発したことを記念するモニュメントであり、ワシントンDCから他の地点への距離を測る際の基準とすると書いてある。だが、それだけで、実務的な機能はない。アメリカは州が集まってできている連邦国家であり、道路行政は各州にゆだねられている。フリーウェイのインターチェンジ(EXIT)の番号も、同じ道であっても、州境を越えると新たに付け直される。全国的な道路網であるインターステイト・ハイウェイ網も、首都ワシントンDCを中心とするのではなく、南北の路線は奇数、東西の路線は偶数と、格子状に配置されている。ワシントンDCが道路網の中心に位置することはないし、ましてやホワイトハウスからの距離を気にすることは全くと言っていいほどにない。

これに対して、ロシアのモスクワ・赤の広場にある道路元標は、これも里程元標だと思われるが、シベリアへの東進を続けたロシアの道路のまさに原点という意味合いがあって、興味深い。一度現地に立ってみたいと思っている。
道路元標を通して、その国の政治制度、道路体系、国風というものまでを考えてみるのもまた楽しいことである。


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