道路元標こぼれ話その2

道路元標はいつ建てられたか?

道路元標は、大正8年に制定された道路法及びその施行令に定めがあり、これら法令の施行日である大正9年4月1日をもって設置されたことになっている。普通の解説ならばそれでいいが、ここでは実際に石工さんが道路元標を建てた日付にこだわってみたい。
実際、大正9年4月1日の時点でどれだけの道路元標が建てられていたかは疑わしい。というのも、高さ60センチメートル、縦横25センチメートルの石柱で、上部5センチメートルまで角を取るというおなじみの様式が内務省から公布されるのは、大正11年8月になってからである(大正11年8月18日内務省令第20号「道路元標二関スル件」)。道路法施行令には道路元標の様式は内務大臣が決めると記されている(第9条の2)ので、道路元標の設置を義務づけられた各道路管理者もこの様式が決まるまでは建てたくても建てられなかったと思われる。
福島県門田村の道路元標には、裏面に「大正十三年八月建之」と刻んであるという報告がある。

余談になるが、道路元標はこの一般的な様式に出来ない場合は監督官庁の認可を得て別の様式にすることが出来た。市電の架線柱の形をした東京市道路元標がその代表例だろう。ところが、あまりにも問い合わせが多くて閉口したのかどうかは知らないが、大正14年には「道路元標二関スル件」を改正(大正14年9月24日内務省令第15号)して「監督官庁ノ認可ヲ得テ」という部分を削っている。
大正14年の段階でもまだ道路元標が立て続けられていたことが伺える。

赤煉瓦の旧北海道庁の門前に立っている札幌市道路元標には、解説板が添えられていて、昭和3年に建てられたということがわかる(現在のものは昭和57年に復元)。この札幌市道路元標の歴史をたどると、北海道内の道路元標位置について最初の告示が出されたのが大正9年で、この時北海道では区町村制をとっていたため、札幌区道路元標として告示されている。北海道の区制は大正11年8月1日に市制に改められているため、案内板の解説のとおりに昭和3年に建てられたとすると、最初から札幌市道路元標となっていたわけで、札幌区道路元標は幻の道路元標と言えよう。告示日と実際に建設した日が8年間もずれているために起きた逸話である。
函館の道路元標も同様に昭和3年に建てられているという報告があり、告示にある函館区道路元標も同じく幻に終わっている。
また、札幌と函館の道路元標の建てられた時期がわかっていることから、北海道内の道路元標は昭和3年にまとめて建てられたのではないかと推測している。

総合すると、道路元標が建てられたのは大正11年8月以降、昭和のはじめぐらいまでと考えるのが良さそうである。


道路元標の位置を定める告示について

道路元標を探す際の基礎資料が、大正道路法・道路法施行令の施行にあわせて各府県が出した「道路元標の位置を定める告示」である。
多くの府県では、法令施行日の大正9年4月1日に県公報の号外を出す形で告示している(同日付けの公報では府県道の認定やその他道路法施行にあわせた諸告示が告示されている)。準備の良い府県ではこれに先立つ形で告示しているところもある。道路法施行令の附則には「第二十八条 市区町村ニ於ケル道路元標ノ位置ニ付本令施行前道庁長官又ハ府県知事ノ定メタルモノハ本令ニ依リ定メタルモノト看做ス」の一文が挿入されているので、こうしたフライング告示も認められている。
おそらく一番気の早い県は千葉県ではないだろうか。道路元標の位置は府県知事が定めるように指示している道路法施行令が公布されたのが、大正8年11月4日。多くの府県ではこの公布があってから翌年の4月1日の施行日にむけておいおい準備を進めていくのだが、千葉県ではわずか10日後の大正8年11月14日告示295号で道路元標の位置を定めている。さすがに一度では出揃わなかったらしくこの告示には掲載されていない町村もあり、大正9年1月9日告示1号で残り半分の町村について告示している。幸いにも千葉県の場合は県例規集に記載されているので履歴が一目でわかるが、文書調べはしらみつぶしにやらないといけないと教えてくれている。
それにしても、わずか10日で告示することが出来るというのは驚きである。もしかすると、道路法施行令の公布以前に内務省から内々に通達があったのかもしれない。大正8年4月10日に道路法が公布されて以降、道路会議では道路法施行令や構造令についての審議が進められていたし、同時に、内務省主宰で全国土木課長会議や地方長官会議が開かれ意見聴取や方針説明がなされた。中外商業新報 は大正8年9月7日付けで、道路会議特別委員会で審議されてきた道路法施行令が9月3日に総会で採決されたことを報じ、その概要として「一、府県庁所在地等を道路の路線の基点又は終点となす場合に於ては道路元標の制度を認め東京市に在りては其の位置を日本橋の中央とす」ことを明らかにしている。実務者レベルでは比較的早い段階で道路元標の設置について理解が出来ていたことを伺わせる。


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